第一章 幻想飛翼 Level_Changer.

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 日が傾き、ビルの影が長くなり始めた頃。

 家路を急ぐ学生達の波の中に、ツンツン頭の少年、上条かみじよう当麻とうまがいた。

 上条の右手には学生鞄、左手にはパンパンに詰まったスーパーの袋があった。袋の中には数日分の食材が入っている。一人暮らしだった頃はこんな頻繁ひんぱんに買い出しに行ったりしなかったのだが、今彼の家には同居人がいる。それも大飯らいの――。

(アイツが来てから、エンゲル係数上がり過ぎな気がする今日この頃ですよー……)

 左手にかかる重さに反比例して軽くなったポケットの財布の事を思うと、上条の気持ちはいささか憂鬱ゆううつだった。

 そのおかげで寮への歩みもにぶってしまうのだが、お腹を空かせた同居人の機嫌が悪くなる事だけは避けたい。彼女の機嫌を取る為にある物も買ったのだ。さっさと帰るのが吉だろう。

 そこで上条は、人の流れをけて裏道へと入った。人通りは少なく、入り組んだような道だが、学生寮へはこの道が近道だ。

「不良達から逃げてる内にこの辺の道は覚えてしまったなぁ。きっかけはうれしくないけど、こういう時に使えるのが利点だよな」

『不幸』に縁のある上条は、なぜか不良達にからまれる事が多い。その理由は、ただ不良達の前を横切っただけだったり、絡まれている人を助けようとして自分が標的になってしまったりと様々だが、彼らとの追いかけっこを経て、最適なルートや近道が頭の中に入っていた。

 今日はこの近道に入るからといって面倒事はない。さっさと通り過ぎてしまおうと思った上条だったが、

「ん? 何か不思議な感触が……」

 地面の感触がおかしい事に気がついた。

 アスファルトの固い反発ではなく、かと言って水たまりに突っ込んだようでもない。まるで柔らかいものを踏んづけたような感触で、

(もしかして犬のフンでもんじゃいましたかねぇ……)

 内心で『不幸だー……』とつぶやきながら顔を下に向けてみると――、

 人間が倒れていた。

「……………………………………………………………………………………………………………」

 上条は反応に困った。

 何かリアクションの言葉を上げてしまうかと思ったが、あまりにも驚いてしまうと、人間言葉が出ないものだ。

(……さて、この状況どうしたものですかねぇ……)

 どう対応するか悩んだ上条かみじようだったが、ずっと踏んづけている事に罪悪感を覚え、まずは足をどける事にした。

 すると、倒れていた人物が身じろぎを始めた。

 思わず上条はズサッと後ずさる。距離を取ってやっと、さっきよりも冷静にその人物を観察する事ができた。

 その人物が着ている服は、どこかの学校の制服のようだ。こんのジャンパースカートが特徴的だが、逆を言ってしまえばそれしか特徴がない。制服マニアでない上条では、見ただけでどこの制服なのか判断できなかった。

(――って! スカートって事は女の子かよっ! うわっ、踏んづけたけど大丈夫か!?)

 内心ビクビクしながら、上条は少女の動きを待った。

 顔を上げた彼女はキョロキョロと周りを見渡した後、ゆっくりと地面に腕をついて体を起こした。そして、地面にひざをついて、どこか焦点の定まらないような目で、上条の方を見た。

 若干地味な印象を受けるが、かわいいという分類の美人だろうか。肩にかかる髪の毛先はウェーブがかかっていて、どこかほんわかとした印象を受ける。しかし、疲労でもまっているのか、生気のなさそうな表情だった。

 しばらくの間、二人は目を合わせていた。

 だが、少女は何の反応も示さない。ただ、大きなひとみをこちらに向けたまま、ぼーっと、こちらを見ている。

 最初こそ上条も同じく彼女に視線を合わせていたが、さすがにしびれを切らし、

「え、ええっと……、だ、大丈夫か?」

 声をかけてみる事にした。

 それに少女は小首をかしげてみせ、何かを考えている様子だが、

 ぐ――――――…………。

 静寂せいじやくを貫くように、少女の腹の虫が鳴った。

 それが自分のお腹から鳴ったのに気づいた少女は、咄嗟とつさにお腹を押さえた。その顔は羞恥しゆうちで赤く染まっている。

 そんな少女の反応に上条はさらにどう対応したものか困ってしまう。

 とは言っても、このまま立ちくし続ける訳にもいかない。

(そうなるとここはコイツを使ってみるしかないか――)

 上条は学生鞄を地面に置くと、空いた右手で、スーパーの袋からとある物を取り出した。

 取り出したのは、何の変哲もないシュークリーム。

 どこかの名店の物でもない大量生産品だ。だが、特筆すべきはその大きさ。ソフトボール大もの大きさで、商品名も『満足!! ハイカロリーシュークリーム』と、ダイエット中の女の子から目のかたきにされそうな一品だ。

 しかし目の前にいるのはお腹を空かせた女の子。ダイエットとは無縁むえんだろう。

(いやまぁ、過激なダイエット中で行き倒れたっていう可能性も否定できないけどさ)

 そんな事を考えながら、上条かみじようはシュークリームを少女に向かって差し出す。

 少女は目の前のシュークリームをきょとんとした顔で見つめていたが、

「……食べていいんですか?」

 初めて口を開いた彼女に、上条はうなずきで返す。

 すると、少女は上条の手からシュークリームを受け取ると、袋を開けて、ぱくっとかぶりついた。

 一口咀嚼そしやくした後、一瞬動きが止まる。何かまずいものでもあったかと不安になった上条だったが、そんな心配をよそに、少女は無我夢中でシュークリームを食べ始めた。勢いがあり過ぎて、シュー皮が破れてクリームがれて袋に溢れ出し、果てには彼女の顔にもついてしまっている。だが、彼女はそれを気にする様子もない。

 食べている間に彼女の事情でも聞こうかと思っていた上条だったが、その食べっぷりに口をはさむタイミングを逸してしまった。

(ここは待ってやるしかないか……。とは言え、こんなとこで何してるんだって話だよなぁ。誰かが来て面倒事にならなければいいんだけど)

 こうやって素性の知らない人間と出会うと、かなりの確率で面倒事に巻き込まれる事に、上条は記憶喪失そうしつ後の短い期間でしっかり学習していた。

 周囲に視線をやってみるが、幸い誰も来る様子はない。どこぞの魔術師だとか特殊部隊がやって来るパターンではないようだ。

(それだけで安心ですよ、上条さんは……)

 ホッと胸をで下ろしながら、上条が少女へ視線を戻すと、

「――――って、ええっ!? いない!?」

 さっきまでそこにいたはずの少女がいなくなっていた。

 ご丁寧ていねいにシュークリームの袋が折りたたまれて置かれていたが、少女は忽然こつぜんと姿を消していた。

 あわてて上条は駆け出し、途中の曲がり角をのぞきこんでみるが、彼女の姿はない。さらに道の先にも行ってみるが、やはり彼女の姿は見えなくなっていた。

「そういや背中を向けている時に『ごちそうさまでした』っていう声が聞こえたような……」

 気をらした事をやむ上条かみじようだったが、

「よくよく考えれば、そんな気にする事もないか。誰かに追われてるって訳でもなさそうだったし、体調が悪かったとかそんな感じだよな。……多分」

 今更どうしようもないのだが、胸のつっかかりが取れず頭がもやもやとする。

 このまま見逃してもいいのだが、それを簡単に見過ごせるような人間であれば、彼はまず倒れていた彼女に関わろうとしない。

 上条かみじようは大きくため息をつくと、

「……しゃあない。ちょっとだけでも探してみるか」

 同居人を待たせない程度に少女を探す事に決め、裏道から大通りへと出るのだった。



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