放心した体で神裂が呟くと、彼女の前で何かを物色していたオルソラが振り向いた。 「あら? 買い出し、と言いましたでしょ?」
「いや、確かに買い出しとは言いましたけど、これは……」
言いながら、神裂は周囲を目だけで見渡した。
2人が今いるのは、ロンドンの一角にあるアパレルショップ。
店内には様々なデザインの服が所狭しと並んでおり、年頃の女の子ならば、悩みながらも楽しそうに自分の服を選ぶだろう。
しかし神裂はというと、とても居心地が悪そうである。
神裂の普段の服装は、おへそが見えるTシャツの上に右袖が無いジャケットを羽織り、ジーンズもまた左裾を根元までぶった切っているという、傍から見れば珍妙極まりない格好で、今もその服を着ている。
そんな彼女が、この店に並んでいるようなかわいらしい服に囲まれて居辛くない訳が無い。
だが、それ以上に何が嫌かというと、
「神裂さんはいつもいつもそのような格好をしてらして。お仕事を考えるとそれでいいのかも知れませんけど、時にはこういう服もいいんじゃありません?」
オルソラは喋りながら、大量の服の中からこれまたかわいらしい服を一着取り出すと、神裂の前に突き出した。
「こんなに飾りがついていては戦闘中動き辛いです。それにこんなにゴチャゴチャしていては術式も込められそうにありません。それに……私には似合いませんよ……」
そう言って、神裂はその服を払いのけた。有無も言わさず拒否されたオルソラは、しょげながら服を元の場所に戻した。
このようなやり取りが既に幾数度。買い出しの途中、オルソラが急遽この店に寄ると、まるで着せ替え人形のように、神裂の服を見立て始めたのだ。
こんな事は神裂からすると余計なおせっかいでしかない。しかし、オルソラが親切心からやっているのはよくわかっているので、何も言えず、されるがままになっているのだった。ただ、唯一の抵抗として、自分の意見だけはしっかり言っていた。
「うーん……。これはちょっと難しいですね。少し本気で探してみますか……」
オルソラはそう言うと、さっき以上に服をバババッと捲りながら、神裂に似合うと思う服を探していく。
あまりにも真剣な為、神裂は口を挟めず、またも手持ち無沙汰になってしまったので、仕方なく一人で店内を見て回ることにした。するとそこに、
「あれ?
「――ん? ああ、五和と対馬ですか」
声をかけられて神裂が振り向くと、そこには天草式十字凄教所属の五和と対馬がいた。
「女教皇様もお買い物ですか?」
「私ではなく、オルソラが、です」
訊ねられ、神裂は『オルソラ』という単語を強調して答えた。
「オルソラさんのですか? でも姿が見えないようですけど?」
「彼女は向こうで服を選んでいますよ。――私の事はともかく、二人も買い物ですか?」
神裂が問うと、対馬は五和を前に押し出し、
「ええ。この子に似合う服を、と思って」
「えっ!? 私のだったんですか!? 私、対馬さんが『ちょっと買い物に付き合ってよ』って言ったから付いて来ただけですよ!?」
驚く五和に対し、対馬は
そんな二人の様子に、神裂は何処かで見たような……、と軽くデジャブを覚えていた。
「私もちゃんと自分の見るわよ。でもメインは五和。想い人に魅せる服なんて、いくらあってもいいでしょ」
「え、ええっ!? い、いや、私はそんな! あの想い人っていうかっ、そのっ!」
五和は何か言おうとするが、全く言葉になっていない。そんな五和の慌てふためき振りに、さすがに対馬も呆れ顔になった。
「そんなうろたえなくても……。ていうかね、あんたはちょっと奥手過ぎ。あんたには男を誘惑できるこのでかい胸が――」
対馬は五和の胸にチラッと視線を向けると、そのまま視線を止めたまま凍りつき――突然、
「あんたには胸があるんだからっ!!」
「は、はひっ!」
号泣しながら言った対馬に、五和は得も知れぬ迫力を感じて思わず頷いてしまった。
五和が頷いたのを見た対馬は袖で涙を拭うと、一つ深呼吸をして、さっきまでの冷静な様子に戻った。
「……それじゃ、あんたに似合う服探すわよ。そのでっかい胸を強調するような露出高い奴にしようかしら〜」
「あ、あの、できればそういうのはちょっと……。というより、それじゃ術式を組み込めなくなるんじゃ……」
「大丈夫よ。それも考えて選ぶから」
「い、いや、だから、露出の高過ぎる服は……」
抗議しつつ、店の奥に行こうとする対馬を追いかけようとしたところで、五和は立ち止まって神裂に一礼。
「それでは失礼します、女教皇様」
「え、ええ。また寮で」
神裂が返事をすると、五和はもう一度ぺこりと頭を下げてから、対馬の後を追い店の奥に入って行った。
それを見送ってから、神裂は半ば放心状態で止まっていた。
(い、五和があの方を誘惑するための服を買う!? ……いや、五和の想いは理解しているつもりです。五和の想いは本物。想いが成就するのなら、服選びも温かく見守ってやるべきです。それがどんな服装であろうとも、それで上手くいくのなら……い、いやしかし! さすがに男を誘惑するような服装というのは……。あー、でも! 応援するならともかく、邪魔するなど最低の人間です! ここは私が口を出すようなところでは……だ、だがしかし……)
頭の中でどんどん浮かんで来る考えを処理しきれず、神裂の頭の中はオーバーヒート寸前だった。
そこでふと、神裂の脳裏に、忌々しい男の言葉がふっと浮かんだ。
『(……あの奥手少女、五和ちゃんなら堕天使エロメイドぐらいやりかねんと言っておるのだよ)』
(ま、待て! あれはあの男の戯言だ! 私があれをやった時の、あの方の反応を思い出せ! それにあの時の五和と『あの子』の反応も! ――い、いや、待て思い出すな、私っ! あれは封印すべき記憶なんだ! 思い出しちゃいけないっ! ああっ! でも何で思い浮かぶんだっ!)
「あのー……神裂さん?」
「うひゃあっ!」
突然呼びかけに驚き、神裂の体がビクッと跳ねた。
その反応に声をかけたオルソラも驚いて、神裂同様、体が跳ね上がった。
「ど、どうしたんでございますの、神裂さん?」
「あ、ああ、オルソラでしたか。……いえ、少し考え事を……」
神裂は冷静を装おうとするが、冷や汗を垂らしていてはそうは見えない。
それは神裂自身もわかってはいたが、内心、忌むべき記憶を全部思い出さずに済んだことに安堵の気持ちの方が大きく、そこまで気をかけなかった。
「考え事ですか? とても難しいお顔で考えてらしたけれど、何かお悩みがあるのでしたらお聞きしましょうか? 迷える子羊を導くのが、私達のお仕事ですから」
「いえ、大丈夫です。こんな問題ぐらい、私一人で解決しますから」
「……そうですか。まあ、神裂さんは女教皇ですものね。私がお手伝いすることはありませんよね」
気丈に答える神裂の様子に、オルソラはもう少し突っ込んで聞こうかとも思ったが、神裂は天草式女教皇であり、聖人である。その彼女がここまで言うのだから、とここは引くことにした。
「お心遣い感謝します、オルソラ。ただ、いくら私が女教皇で聖人と言っても、万能ではありません。もし、どうしようも無くなったら、頼ってもいいですか?」
神裂の言葉に、オルソラの表情がぱあっと明るくなった。
「――それはもう! いつでも頼って下さいね!」
「ええ、その時はお願いします」
オルソラの満面の笑みに答えるように、神裂も笑みで返した。
と、そこでオルソラは、背後から山のような物を神裂の目の前に差し出した。
即座にはそれが何なのかわからなかった。だが、神裂はここがどこなのかを思い出すと、その山の正体に気付いた。というより気付いてしまった。
そのせいで神裂の顔から笑みがすぐに消えてしまう。が、オルソラはさっきまでと変わらない笑みのままで、
「それはそうと……神裂さんに似合いそうな服、これほど見繕ってみたので、せっかくですから試着してみませんか?」
服の山を抱え笑みで迫ってくるオルソラに、神裂は何も言い返す事はできなかった……。