とある女教皇の休日




 イギリスはロンドンにある、イギリス清教女子寮。

 元はイギリス清教の人間が使う場所だったが、紆余曲折を経て、天草式十字凄教やローマ正教を出奔してきた人間までもが入居し、今では三〇〇人を超える人々が生活している。

 そこのロビーで今『必要悪の教会ネセサリウス』所属の魔術師でありながら、天草式十字凄教の女教皇プリエステスかつ世界で二〇人もいない聖人でもある神裂火織かんざきかおりが、顎に手をあてながら、右に左にうろろろと歩き回っていた。

 そんなところに、黒い修道服に身を包んだオルソラ=アクィナスがやって来た。

 しかし神裂はというと、オルソラが来たことに全く気付かない。武人である神裂がこれほどの隙を見せるなどそうある事ではない。気になったオルソラは、神裂に話しかけようと近寄った。

「神裂さん、どうかしたのですか?」

「!?」

 オルソラの声に、神裂はバッとオルソラに顔を向けた。

「あ、ああ、オルソラですか……。驚かさないで下さい……」

「特に驚かせようとしてはいないのですが……。どうしたのですか、そんなにボーっとされて」

 神裂は言い難そうにしていたが、オルソラが心配しきった顔で彼女を見つめるものだから、大人しく観念し、一つ溜息をついてから口を開いた。

「実はですね――」




「神裂。貴女に暇をやりけるの」

 聖ジョージ大聖堂の礼拝堂。

 礼拝堂奥に据え付けられたパイプオルガンの椅子に座った、イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会』最大主教アークビショップ、ローラ=スチュワートはそう言い放った。

 しかし、その言葉を受ける神裂はというと、時が止まったかのように反応を返さなかった。というより、返せなかった。

 そんな、何も反応を返さないという神裂の反応に、ローラはむすっと顔をしかめた。

「――神裂、聞いているの?」

「――は? あ、ああ、はい! 聞いていますとも!」

 ローラの指摘に、慌てて神裂は返事をした。そして、そのまま言葉を続ける。

「い、いや、しかしですね、最大主教! 何故、突然私がクビなのですか!? 何か私はミスをしたでしょうか!?」

 取り乱す神裂の様子とその言葉に、ローラは首を傾げた。

「クビ? わたしはそんな事言ってないかしら?」

「し、しかし、今『暇をやる』と!」

「ん? 『暇をやる』というのは、『休暇を取らせる』という意味で無いにけるの?」

 ローラの言葉で全てを理解した神裂は、大きく溜息をつくと、平静を取り戻した。

「最大主教……。確かに『暇』というのは『休み』の意味もありますが、上司が『暇をやる』と部下に言った場合は、『関係を断つ』すなわち『クビ』を言い渡す事ですよ……」

「ぐ……、せっかくつちみかどに教わった言葉だと言うのに、まさかのまさかなのよ……」

「……そうですか、土御門からですか。全くアイツは……」

 神裂は内心、土御門に対する怒りを募らせる。その怒りのオーラがぞわりと周りに漏れ出すものだから、さすがのローラもたじろいだ。

「ま、まあ、それは良きにして、神裂、休暇を取りなさい」

「それもわかりませんね。固定された休日が無いとはいえ、任務が無い時は休日のようなものです。わざわざ呼びつけて休暇を取らすなんて――」

 訝しむ神裂の視線を受けると、ローラは椅子から立ち上がり神裂の前にやって来ると、その両肩に手を置いた。そして、まるで労わるようにポンポンと叩いた。

「否、貴女は休暇を取るべき。あんな事をするなんて、疲れている証拠――」

「ちょっと待って下さい。何ですか、あんな事、とは?」

 引っかかった神裂が問いただすと、ローラはその目をうっすら潤ませると、手を神裂の肩から離し、神裂を優しく抱きしめた。

「な、何を――!」

 突然の出来事に、神裂は真っ赤になって引き剥がそうとする。

 だが、その細腕のどこにそんな力があったのか、最大主教は離れようとしない。というよりは、さすがに上司相手には神裂が力を出し辛いというのが本当の所だろう。仕方なく神裂は抱きしめられながら、背中をポンポンと叩かれるしかなかった。

「良いのよ。さすがに聖人、しかも神の右席相手ではきつかったでせうね。だからあんな堕天使メイドなど――」

 その言葉に、神裂はピシッと固まると共に、全てを悟った。

 この前の出来事、恩人に対してやった消し去りたい過去を、目の前にいる最大主教に喋った人間がいたのだ。

 さっきの『暇をやる』という言葉と共に。

「は、ははははははは……」

 最大主教に抱きとめられながら、神裂は力無い笑いを漏らす。

 その声は大聖堂の高い天井の影響で、大聖堂全体に反響していた――。




「――とまあ、そんな感じで休暇を言い渡されて……。ただあまりにも突然だったもので特にやる事もなく手持ち無沙汰になってしまって……」

 一部をぼかしつつも話し終えた神裂はまた大きく溜息をついた。

 聞き終えたオルソラは頬に手を当てながら首を傾げ、

「あらあら。せっかくの休暇なのですから、ゆっくりされれればいいですのに」

「ゆっくりすると言っても、私にはどうしたものか……」

 ただ休みを取る、という単純なことを真剣に悩む神裂の様子に、オルソラはおかしいやら何やらで、内心でクスリと笑いを漏らした。

 と、突然何かを思い出したのか、ポン、と手を叩いた。

「それなら、私と一緒にお買い物に行きませんか?」

「買い物に?」

「ええ。ちょっと買い出しにいかないといけない物がありまして。誰かに付いて来てもらおうと思い、シスター・アニェーゼ達に声をかけたのですけど、皆さんお忙しいようで。よければ神裂さん、付いて来てもらえませんか?」

 日頃から世話になっていることを考えれば、オルソラの頼みを断れる訳がない。それに加えて、暇を持て余す今の神裂にとって、オルソラの頼みは渡りに船だった。

「そういうことなら構いませんよ。それでは、早速行きますか」

「はい。それでは、よろしくお願いしますね」



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