第一章 守護者と襲撃者 The_Hanged_Man.



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「くそっ! 何でいきなり風なんか吹くんだ!」

 打ち止めが狙撃された場所から五〇〇メートルほど離れたビルの屋上。そのへりでライフルを構え伏せていた男が、誰に言うでもなく悪態をついていた。

 男の狙撃のタイミングは完璧だった。

 しかし、トリガーを引いたその時に、地上に向かって吹くという奇妙な強風のせいで、狂いが生じてしまったのだ。
おかげで銃弾は目標ターゲツトの頭ではなく、足元の地面に当たるなどという事になってしまった。

 狙撃は距離が遠くなればなるほど命中率が落ちる。発射直後はミリ単位のずれであったとしても、長距離になれば見当違いの位置に命中してしまうほどの繊細さである。

 一撃必中が要求される狙撃手は、反動を抑えるなど自分を律すれば排除できる事柄は当然として、風速など刻一刻と変わる周囲の状況も全て計算して狙撃を行う。
そして、今悪態をついている男もまた、それらをしっかりと行える腕利きの狙撃手ではあるのだが、やはり予想だにしない事に完璧に対処するのは至難の技である。

 しかも不運な事に、突然の強風は一度かと思われたが、その後も断続的に続いた為、一射目以降は撃つ事ができなかったのだ。

 男がスコープで路地を見てみると、占い師を探してキョロキョロと周りを見渡していたジャージ姿の女も、既に路地を出てしまい姿が消えていた。

 男は舌打ちをして悔しさを滲ませてはいたが、口元に笑みを浮かべると、

「――まぁいい。まだ狙う機会はある。期限の間じっくりとやればいいんだ。向こうから教えてもらった狙撃ポイントもまだまだあるしな。いくら隠れたとしても、次に狙えば確実に――」



「確実にどうなるってンだ。あァ?」



 言葉と共に、男の後頭部に拳銃の銃口が押し付けられた。

「――なっ!?」

 背後を取られた事に、男は驚きを覚える。

 目標を狙撃してからまだ数分も経っていない。この街の警察機関である警備員が駆けつけて来るにしては早過ぎる。
というより、短時間でこの場所を特定したという事は、この狙撃計画が事前に知られていたとしか思えない。

 背後に立つ人物は、声の調子や自分にかかる影の様子を見ても、子供のようだ。

 男は少しだけ首を捻って、後ろを確認する。銃口を押し付けられてはいるが、首を回す程度は問題ではないのか、その人物は悠然と男を見下ろしていた。

 白髪に白い肌、白い服と、白一色の人物。首元の黒いチョーカーと、爛々らんらんと紅く光る双眸がその中で異色を放っている。
その人物は、長い棒に取っ手をつけたト字型をした現代的な杖を右手でつき、左手に拳銃を握っていた。

(……警備員じゃない。このガキは、一体に何者だ……?)

 少しでも学園都市の能力者について詳しければ、背後に立つ人物が誰か、男もすぐに分かっただろう。

 学園都市に七人しかいない超能力者レベル5。その中で最強と呼ばれる、すなわち学園都市第一位の超能力者、一方通行アクセラレータである事に――。

 一方通行は、男の戸惑いなど意にも介さず、問いかけを始める。

「ンじゃあ、質問に答えてもらおうか、マヌケ野郎。オマエ、誰を狙ってやがった?」

「……そんな事を簡単に答えると思っているのか?」

「強気だねェ。まァ、俺はそれでも構わないンだがな。とりあえずアレだ。急所以外に一発ずつぶち込ンでってみるか?」

「やれるもんならやってみ――」

 男が呟いた途端、一方通行は銃口を男の右腕へとずらし、躊躇ちゆうちよなく撃った。

「ぐっ、ぐああああああああああっ!!」

 一瞬何が起こったのか把握できていなかった男も、さすがに苦悶くもんの声を上げる。撃たれた箇所は服に穴が空き、黒い染みが広がると共に赤い液体が流れ出す。

 そんな男の様子を、一方通行はさっきまでと変わらない表情で見ていた。そして。今度は銃口を右足のふくらはぎに押し当てる。

「今度はここでいってみるかァ? 腕以上に盛大に血が噴き出して、まるで赤水の噴水みたいで鮮やかだと思うぜェ」

 男は激痛に耐えながらも、自分の半分ほどの歳の子供が言うとは思えない台詞を、しかも喜々として告げている状況に、さすがに恐怖を覚え始めていた。

「ほら、さっさと吐いちまえよ。わざわざここで命捨てるのも惜しいだろ? 素直に喋れば、まだ五体満足ではいられンだからよ」

 今一度強く銃口を押し付けながら、一方通行は告げる。

 男は唇を強く噛んで逡巡しゆんじゆんしていたが、遂に観念したのか諦めの表情を浮かべた。

「――分かった。話す。話すからその物騒な物をどけてくれないか?」

「あァ? 俺はまだそこまでオマエを信用してねェよ。質問に全部答えたら、手足縛って、その後でのけてやるよ」

「……そうかい。それで? 何が聞きたいんだ?」

「まず、誰を狙っていたか、だ」

「そんなの見てたんなら分かると思うんだけどねぇ。――って、はいはい。分かりましたよ、答えますよ。標的ターゲツト最終信号ラストオーダーっつう、おチビさんだ」

「次だ。何でそんなガキを狙ってやがった」

「当然、お仕事だから。頼まれたお仕事はしっかりやらないとね。ガキのお前には分からないかも知れないけどさ」

「……はン。この学園都市にいるガキが普通だと思ってンのか。オマエは幸せ者だなァ、オイ」

「あぁ? ガキはただのガキだろ。そりゃ超能力とか使えるらしいけどよぉ」

「クックックッ、学園都市の情報操作ってヤツはつくづく素晴らしいなァ! そりゃまァ、ここに住んでても、オマエと同じような反応を示すヤツは多いけどな。
でもそれを変わらず言うとか――オマエはガキと変わらねェよ」

 一方通行は男を見下ろしたまま笑い続けているが、笑われている当の本人は何の事だか一切分かっていない様子だった。仕方なく、男は嘆息をつき、

「ゴキゲンのとこ悪いけどさ。もう質問終わり? できればこのしんどい態勢をどうにかして欲しいんだけど」

「あァ、悪かったなァ。久々にぬるいヤツを見たから、つい、な。ンじゃ、続きだ。そのガキを狙うように依頼したヤツは誰だ?」

「直球だねぇ。さすがにその辺は答えると怒られるじゃ済まないよなァ……」

「もう一発穴ァ開けておくか?」

「勘弁勘弁。命あっての物種ってね。依頼したのは――」

 次の言葉を発す為、男の唇が動いたが、それは不意に止まり、続く言葉はなかった。

 突然の事態に、一方通行も動きが取れなかった。

 一方通行は、銃は男の足に当てたままにしていたが、目線は男の頭部に向けていた。その男の後頭部に突然穴が空いたのだ。
穴が空くと同時に軽く跳ねた男の身体は、それから全く動く事はない。そして、コンクリートの床に赤黒い液体と水のような物が流れ出してきていた。

「――オイオイ。何の冗談だ、こりゃ……!」

 驚きの表情を浮かべながら一方通行は呟くが、反応を返してくれる人間はもう喋る事はない。

 予想もしなかった事態に、一方通行も思考を巡らせる。

(依頼内容を喋ろうとしたから消されたのか、こいつは? それならまァ、納得はいく。秘密を喋るヤツは消すに限るからな)

 暗殺など『裏』の仕事に限らず、『表』の仕事であっても、情報というのは重要な物だ。

 自分達の情報をひたすらに隠し、相手の先手を取る事こそが、『表』『裏』どちらでも、成功のポイントとなる。

 だからこそ、相手はその情報を死に物狂いで手に入れようとする。

 特に『裏』の場合は、人質を取る、尋問拷問にかけるなど非人道的な事が頻繁(ひんぱん)に行われる。

 情報を得る為に最も簡単なのは、情報を持っている人間が『最も大事にしている物』と『情報』を秤にかければいいのだ。
そんな状況で『情報』を取る人間は、命を捨てる覚悟をした人間か、仕事にのみ生きる人間か、人でなしだけだ。

 さっきまでの一方通行と男のやり取りもその一つ。男に『命』と『情報』を秤にかけさせ、男は『命』を選んだ。

 だが、当然『情報』を奪われる側は、そんな裏切り者を見逃す訳にはいかない。
救出するのが一番綺麗な方法ではあるが、そんな困難を選ばなくても、裏切り者の命を奪ってしまえば情報は漏れる事はない。『死人に口なし』なのだから。

 それを考えると、男が暗殺されたのは理にかなっていて、おかしい所は特にない。

 秘密を漏らそうとしたから口封じをされただけ。

 しかし、一方通行はその手法に違和感を覚えていた。

 一方通行は見下ろしている男の後頭部を、今一度よく見る。穴は後頭部のど真ん中を綺麗に貫通している。

(……どう考えてもおかしいよなァ、こいつァ)

 うつ伏せ状態の男の上を一方通行が取っていた。弾痕の角度を見る限り、射線上には一方通行が被っている。
つまり、男の後頭部をど真ん中に撃ち抜く為には、一方通行が撃たれていなければおかしいのだ。

 それにも関わらず、一方通行は自分が撃たれた事を一切感じていない。
自分の持つ能力の一端である『反射』で跳ね返していれば感じる事もないが、バッテリーの節約もあり、ここに来る前にも来てからも『反射』は一度も発動していない。

 また、もし一方通行がいなかったとしても、ど真ん中を撃ち抜くのは不可能だ。
弾痕の入射角から射線上を辿たどってみると、その範囲に的確な狙撃ポイントがないのだ。空からヘリにでも乗って撃ったのなら別だが、
ヘリの音など一切なかったし、監視が行き届いた学園都市で不審な飛行物体を飛ばすなど無理な話だ。

「ンったく、どうなってやがンだ……」

 一方通行が愚痴をこぼしたその時、ポケットに入れている携帯電話が鳴った。

 取り出して表示を見てみると『登録3』となっている。

 一方通行は舌打ちをしてから、電話に出た。

「なンだ、土御門つちみかど?」

『機嫌悪そうだなぁ、一方通行』

 電話の主は一方通行と同じ『グループ』の一員である土御門元春つちみかどもとはるだった。

 土御門はいつもの飄々(ひようひよう)とした調子で言葉を続ける。

『ま、何はともあれ一仕事ご苦労さん。そこに転がってるのは、後で下の連中が片付けに行くから、そのままにしておいてくれ』

「言われなくてもそうする。ンで? 俺はそンな事が聞きたいンじゃないンだがなァ?」

 言い返しされた土御門は、少し間を挟むと、声のトーンを落として、

『分かっている。そいつを撃ったヤツだろ。……残念ながら、他も同じようにやられた。ご丁寧に全員後頭部ど真ん中を、だ。
今回狙撃手は三人いたが、位置はてんでバラバラだ。にも関わらず、ほぼ同じ時間に、同じように後頭部を撃ち抜くなんて不可能だ』

「能力者なら可能かも知れねェが、コイツらは全員『外』の人間なンだろ?」

『あぁ。何人かは既に素性が割れている。いっぱしの傭兵ではあるようだが、普通の連中だ』

「となると可能性があるとすれば……」

『ま、オレとご同類ってとこだろうな。そうでもないと説明がつかん』

「そうなると、そいつを調べるのはオマエの仕事だ。俺は狙撃手を片っ端から潰していくぞ」

『そうしてくれ。また詳しい事が分かったら連絡する。狙撃手達が潜伏していると思われる場所のデータとかは後で送っておく。できるだけ殺さずに情報を引き出せ』

 土御門の指示に一方通行は顔をしかめる。

「それは保証しかねるな。狙撃手の安全を完全に確保しねェと暗殺される可能性があるとか難し過ぎンぞ」

『分かっている。できる限り早く調べるから上手くやってくれ。それじゃあな』

 言って、電話は一方的に切られた。

 そして、しばらくして一通のメールが届いた。

 内容はさっき告げられた通り、他の狙撃手が潜んでいると思われるポイントの情報と、現状分かっている狙撃手の情報。流し見る限り、確かに普通の人間ばかりだ。

「――はン。結局はコイツらもタダの駒ってか。学園都市ほどでもねェが、『外』にもそれなりの外道がいるもンだなァ」

 呟いていると、階段を上る足音が複数聞こえてきた。

 おそらく足元を転がっている死体や周囲の処理をしに来た『グループ』のサポートを行う下部組織の人間だろう。

『裏』の仕事は『表』に見えてはいけない。その為には迅速な証拠隠滅が必要になる。

 しかし、その仕事は一方通行の仕事ではない。それは下部組織の人間がするべき事で、一方通行には他にやるべき、もっと重要な事がある。

 大きくなる足音を聞きながら、一方通行は身を翻(ひるがえ)し、階段へと足を向ける。

 次の仕事へと向かうために。

 その歩みの途中、ふと立ち止まって後ろを振り向くと、一方通行は口を開く。



「『上』とか『外』とか『グループ』は一切関係ねェ。俺はただ、俺が守りたいモンを守るだけだ――」



 言って、一方通行は階段を下りていく。

 その視線が何を見ようとしていたのかは、一方通行自身にしか分からない――。



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