第一章 守護者と襲撃者 The_Hanged_Man.



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「おっ買い物〜、おっ買い物〜♪」

 学園都市の第七学区。日も傾き始め、人が増えてきた街中を、一人の少女がスキップしている。
見た目は一〇歳前後。空色のキャミソールの上に白いワイシャツを羽織った少女の無邪気な様子に、すれ違った人間の幾人かは笑みをこぼしている。

打ち止めラストオーダーー、あまり先々行っちゃダメじゃんよー。この人出だと迷子になるじゃん」

 その少女の後ろから、緑色のジャージ姿の女、黄泉川愛穂よみがわあいほが声をかけた。しかし打ち止めと呼ばれた少女は、黄泉川の言葉を聞かずにどんどんと先に行ってしまう。

「子供って本当に無邪気ねぇ。どこからあんな元気が出て来るのか気になるわね」

 芳川桔梗よしかわききようは笑みを浮かべながらそんな事を言うが、その横の黄泉川からは大きく溜息が漏れた。

「子供らしいと言えば聞こえはいいけど、もうちょっと大人しくするって事を覚えて欲しいじゃんよー……」

 言って、黄泉川は歩を速める。それなりに人で混み合っている道を、彼女は機敏なステップで人をかわしながら進み、あっという間に打ち止めへと追いつくと、その頭を手で掴んだ。

「おっ買い物――って、あれ? 足が前に進まない? こ、これはまさか漫画で見た影縫いのじゅ――」

「はいはい、そんな事ないからね」

 言いながら、黄泉川は打ち止めの頭をぐるりと回すと、自分からしゃがみこんで顔が向かい合うようにした。そして彼女は打ち止めの目をじっと見つめ、

「――打ち止め。何度も言うけど、アンタは複雑な立場の人間じゃん。それを自覚しろと何度言ったと思ってるじゃん?」

「あっ、それならちゃんと数えてるよ! えっとね、確か――」

「回数の問題じゃない!」

「ちゃんと答えようとしたのに理不尽! ってミサカはミサカは大人のずるさに抗議してみる!」

 黄泉川と打ち止めが言い争いを始めた所で、しゃがみ込む二人に影を落とす人物が現れた。

「ちょっと愛穂。こんな道の真ん中でお説教していたら、往来の邪魔よ」

 やっと追いついた芳川が、道の中央を塞いでしまっている黄泉川をたしなめた。

「あー、そういえばそうだったじゃん。悪い悪い」

「やーい、黄泉川怒られてるー、ってミサカはミサカは悦に浸ってみたり」

 叱られた黄泉川を笑っている打ち止めの様子を見て、芳川は打ち止めに視線を向け、

「打ち止め、あなたもよ。私達とはぐれてしまったらどうするの。この前は運良く風紀委員ジヤツジメントの人が助けてくれたらしいけど、そう何度も上手くいく事なんかないのよ」

「……むっ、しっかりミサカも怒られちゃった、ってミサカはミサカはうな垂れてみたり……」

 しょんぼりとする打ち止めを見て、芳川は苦笑すると、

「ほら、打ち止め。今言った事を忘れずに節度を持って行動してくれればいいのよ。そんなにしょげなくていいわ」

 芳川は打ち止めの頭を撫でながら言う。それを継いで黄泉川も口を開く。

「そうじゃん。私らはアンタを束縛したい訳じゃないじゃん。少しでいいから、自分の身を大事にして欲しいと思ってるだけじゃん」

 二人のなだめにも、打ち止めはうつむいたままで反応を返さない。困った黄泉川は頭をかきながら、

「あー……、晩飯の時にデザート付けてやるから、今は機嫌を直すじゃん。んー……、何なら二つ付けてもいいじゃん」

「それならオッケー!」

 黄泉川の言葉を聞くと、咄嗟とつさに打ち止めは顔を上げた。その表情は「しめた!」と言わんばかりの笑みだった。

 一方黄泉川はというと、それを見て呆れてしまい、今度は彼女が肩を落としていた。そんな黄泉川の肩を、芳川は苦笑を漏らしながら叩いた。

「ふふっ、愛穂の負けね。こういうのにかけてはこの子は本当に賢いわ」

「全く、こういうとこだけは本当に計算高いじゃん……」

 今度は黄泉川がうな垂れていたが、芳川に促され、仕方なく歩き出そうとした所で、黄泉川は視界の端に何かを見つけた。

「――ん?」

「どうしたの? 愛穂?」

 芳川に問われ、黄泉川は横にある薄暗い路地の一角を指差した。

「いや、あそこに誰かいるよな?」

「あそこって……あぁ、確かにいるわね」

 視線を向けてみると、確かに黒い布をかけた机を前に置き、背もたれのない椅子に座っている人物がいた。

 その人物はフードを目深に被って顔を隠し、薄暗い路地では目立ちにくい黒のローブを羽織っていて、見るからに怪しさを醸し出していた。
しかしその体格は、打ち止めと同じぐらいなほどに小柄である。

「あれって、いわゆる占い屋じゃん?」

「なるほど。何かと思ったけど、言われてみればそうね。でもそれがどうかしたの?」

「食物を扱ってるのは当然として、路上でのパフォーマンスやアクセサリーの露天を出すには許可がいるじゃん。その中には占い屋も含まれてる。
でも大半は無許可のまま。私もそこまで目くじら立てたくないけど、警備員アンチスキルとしては見逃す訳にはいかないじゃん」

 そう言って、黄泉川は路地へとずんずん入って行ったので、芳川と打ち止めは慌てて後ろに続いた。

「ちょっとアンタ。ここで何やってんじゃん?」

 黄泉川は怪しい人物の前に立つと声をかけた。

 怪しい人物はというと、突然やって来た黄泉川を見て首を小さく傾げていたが、幼さの混じった声でポツリと呟く。

「……売れない占い」

「……冗談のつもりじゃん? そんな笑えない冗談じゃあ見逃せないじゃん。ここでの営業許可証出すじゃん」

「……そんなのはない」

「じゃあ、仕方ないけど、さっさと片付けるじゃん。本来なら調書とか取るとこだけど、そこは大目に見るし」

 黄泉川の言葉に少しの間逡巡していた占い師だったが、ぽん、と手を叩くと、

「タダで占ってあげるから見逃して」

「だからそうはいかないから、さっさと――」

「占ってくれるの!? ってミサカはミサカは一番に占って欲しいから手を差し出してみる!」

「こら! 打ち止め!」

 いきなり話に割り込んできた打ち止めに黄泉川は怒鳴った。

 しかし打ち止めは既に黄泉川と占い師の間に割り込み、興味津々の様子で机に置かれたカードを見ている。

 ミサカネットワークの管理を行う打ち止めは、当然それに接続している妹達シスターズの会話を聞く事ができる。
その中で彼女達が占いの話をしているのを何度も聞いていた打ち止めは、初めて見た生の占い師に興奮しているのだ。

 そんな打ち止めの様子を見て、占い師は顔を上げて黄泉川を見た。

「……せっかくだし、一人ぐらい占わせて。この子を占ったら大人しく消えるから」

「いや、しかしだな……」

「ミサカは占いというのを一度やってみてもらいたいんだよ! ってミサカはミサカは黄泉川に期待の眼差しをキラキラと放ってみたり!」

 子供だけが持つ強力なおねだり視線を投げかけられ、黄泉川は困り果ててうなり声をあげる。

「ふふっ、アナタの負けよ、愛穂。いいじゃない、一回ぐらい」

 黄泉川は笑みを浮かべている芳川に恨みの視線を投げかけていたが、遂に両手を上げると、

「――分かった分かった。それじゃアンタ。この子の分だけだからね」

「やったー! ってミサカはミサカは飛び跳ねて喜びを表現してみたり!」

「……Danke」

 打ち止めは飛び跳ねて喜び、占い師はぺこりと頭を下げて短く感謝の言葉を述べた。その言葉が日本語でなかった事には、誰も気に留めなかった。

 占い師は、打ち止めが飛び跳ね終わるのを待って、机の上に置かれたカードを手に持ち、口を開く。

「それでは占いを始めさせてもらう。ワタシの占いはタロット占い。今日は簡単に大アルカナのみを用いた物を行う。アナタ、何か質問したい事はない?」

「質問? うーん……」

 占い師に言われ、打ち止めは頭をひねった。

 生で占いは見てみたかったが、実の所、占って欲しい事などは特になかった。

 だが、そこで打ち止めの脳裏に一つの姿がよぎった。

 そして打ち止めは、真剣な表情になって口を開く。

「……ある知り合いがね。何か危ない事やってるみたいなんだけど、その人がこの先どうなるか占える? とミサカはミサカは質問してみたり」

「未来予測――。不可能ではないけれど……、自分で言うのも何だけど、占いはそうそう当たるものではない。それでも構わない?」

「――うん」

 占い師の言葉に、打ち止めは力強く頷(うなず)いた。

「なら、それで引き受けた。今回は『大三角の秘宝法』を用いる」

 言うと占い師は、机に置かれていたカードの山をバラバラに崩して、両手でかき混ぜ始めた。

 しばらくの間かき混ぜるのを続けた後、一気にカードを元の山の状態へと戻した。それを今度は二つに分けると上下を逆にしてまた重ねた。

 その山の中からカードを一枚取り出すと、それを机の右側へと置いた。同じようにカードを二枚取り出すと、一枚は左側に、残る一枚は先の二枚と三角形を作る位置へと置かれた。

 そして最後に、占い師は残った山の中からサッと一枚取り出すと、それを先にできた三角形の脇へと置いた。

「……これで準備は整った。一応解説すると、私から見て三角形の右下が『過去』。左下が『現在』。そして上が『未来』となる」

「最後に取りだしたのは何になるの?」

 芳川が問うと、占い師は脇に置かれたカードに手を乗せ、

「これは『キーカード』。占う事柄に対しての今後の指針となる。大三角の秘宝法の良い所は、これがある所。――それでは、はじめよう」

 占い師は手を三角形の右下へと持って行き、そこに置かれたカードをめくった。

 カードに描かれているのは、雷を受けて崩れ落ちる塔と、そこから落下する人間。

「過去に、『タワー』の正位置。これはタロットの中でも最悪のカード。その知り合いは過去において、大きな失敗や過ちを犯している。わざわざ『塔』が出るのだから相当」

(……確かに、あの子は過去に大きな過ちと呼べるようなものを犯しているわね)

 説明を聞き、芳川が内心でそう呟いた。

 今占いの対象となっている人物は確かに、大量の殺人を犯している。それが大人の都合で行われたものであったとしても、こういう占いでは、それは過ちと判断されるのかもしれない。

 続けて、占い師は左下のカードをめくった。

 そこに描かれていたのは、逆さ吊りされている人間。

「現在に、『吊るされた男ハングドマン』の正位置。その人は今何らかの試練を受けている。抗いたくとも抗えない。耐え忍び、妥協する日々のはず」

(試練ねぇ……。確かに、この前の暴れっぷりを見る限りじゃあ、何かに巻き込まれていると見るのが筋じゃん)

 黄泉川は腕を組みながら考える。

 九月三〇日に姿を消した後、長点上機学園へ転入が行われ、一〇月九日の騒ぎでまた姿を見せた時には、学園都市第二位と戦闘を行っていた。
その時に見せた黒い翼や尋常でない様子。それが最後の希望ラストオーダーによって収まった後、救急車で運ばれていったが、それからまた姿を見せていない。

 普通に考えて、何かのトラブルに巻き込まれているのは間違いないだろう、という結論に黄泉川は達していた。

 そして占い師は、三角形の頂点の残った一枚をひっくり返した。

 その絵柄は、月に向かって吠える二匹の獣と一匹のザリガニのような甲殻類。

「未来が『ムーン』の正位置。意味は曖昧で不安定。残念ながら未来を見通す事はできない。何が起こるかも分からない。ただ不安定な状態になるのだと思われる」

(……未来は見えないのか、とミサカはミサカは心の中で落ちこんでみたり……)

 打ち止めがしょんぼりとした様子を見せているのを芳川も黄泉川も見ていた。
二人はそんな様子に難しい表情をしていたが、打ち止めが顔を上げて最後に残った一枚に視線を向けたのを受け、同じように視線を最後のカードへと向けた。

 占い師は、三人の視線が三角形の脇に置かれた最後の一枚に集まっているのを確認すると、それをゆっくりとした動作でめくった。

 現れた最後の一枚には、獣を手なずけている女性の姿が描かれていた。

「……最後。今後の指針となるのは――『ストレングス』の正位置。不屈なる強固な意志。長い道程になるだろうけど、信念を曲げなければ未来は開かれる」

 そう言った後、占い師は力を抜いて背後の壁に背を預けた。

「……これで占いは終わり?」

「そう。過去、現在、未来、そしてキーカード。全ての解釈は述べ終えた」

 言いつつ、占い師はまた背を壁から離すと、顔を目の前の打ち止めの方に向けた。

「今回ははっきり言って良い結果は出なかった。というより、これだけ悪く、見通しも何もない結果になるのは珍しい」

 客観的に告げられた占い師の感想に、打ち止めは表情を曇らせる。

 その様子を見た占い師は、しかし、と前置きをして、

「何度も言うけれど、所詮は占い。日本には良い言葉がある。『当たるも八卦当たらぬも八卦』。占いは当たる事もあれば外れる事もある。
すなわち、当たろうが当たるまいが、人の生活は連綿と続いていく。結局は指針であって、真に受ける必要なんかない。良い結果であれば信じればいいし、悪い結果であれば信じなければいい。

 それに、タロットは半年先程度しか占えないと言われている。未来は混迷とは言ったが、もし今回の占いが当たりだとすれば、それは半年間での話。
その先はハッピーエンドかも知れない。それに混迷というのは良い事も悪い事もごちゃ混ぜでどうなるか分からないという事だ」

「じゃあ結局は――」

「真に受けて結果に囚われちゃダメ。占いに囚われた人間はロクな事にならない」

 占い師が強い口調で述べると、黄泉川は軽く笑みを浮かべて、打ち止めの頭を撫でた。

「何だ、結局そういうオチじゃん。打ち止め、今のちゃんと聞いてたじゃん? あまり考え過ぎちゃダメじゃんよ」

「う、うん、ってミサカはミサカはとりあえず頷いてみたり」

 ミサカは少し影を作った表情で笑みを浮かべながら頷いた。

 占いが終わった後の空気は静かで、どのタイミングで動きを作るべきか、黄泉川と芳川が迷ってしまう。

 その時、ピシッ、という音と共に、打ち止めの足元が跳ねた。

 突然の出来事に驚いた黄泉川と芳川だったが、芳川はすぐに打ち止めを守るように抱きかかえ、黄泉川は音がした場所に残った弾痕を見て、驚きの声を上げる。

「狙撃じゃん! 桔梗、すぐにここから離れるじゃんよ!」

「分かったわ! 行くわよ、打ち止め!」

「う、うん! って占い師さんは!? ってミサカはミサカは主張してみたり!」

「愛穂! 占い師さんは頼むわよ!」

「分かったじゃん!」

 打ち止めに言われ、芳川は占い師も気にはかけたが、今は打ち止めを守る事が最優先だと判断し、占い師は友人に任せて、この場を一刻も早く離れる事にした。

 芳川の頼みに応じた黄泉川は、先に路地を抜ける芳川に再度の攻撃がないか警戒を払いつつ、占い師に声をかけようとした所で、視界に占い師の姿がない事に気が付いた。

 さっきまで占い師がいた場所に、机と椅子はある。

 しかし、当の本人と、机に置かれていたタロットカードが消えていたのだった――。



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