「ドーナツ、ドーナツ、ドーナッツー♪ それは甘くておいしい〜、それは甘くてふわふわ〜。ドーナツ、ドーナツ、ドーナッツー♪」

 姫神からドーナツをもらったインデックスは、帰りも機嫌よく自作のドーナツの歌を口ずさみながら、街を闊歩していた。

 だが、1つ問題があった。

 それは、手に持つ袋の存在である。

 未だほんのりと温かく、袋の口を閉じていても匂ってくるドーナツの甘い匂いは、インデックスの食欲中枢をこれでもかと刺激し、『せっかく2つもらったし、寮に戻ってとうまと2人で食べよう』というインデックスの殊勝な気持ちも、完全に揺らがせてしまっていた。

(むー……。これは帰ってからとうまと一緒に食べる、とうまと一緒に食べる……。でも、わたしがもらったんだし両方食べても……って、ダメダメ! これはとうまと一緒に食べるの! ここで食べちゃダメ!)

 頭をぶるぶると振って、インデックスは邪念を振り払う。

 しかし、袋を持ち続ける限り、その甘い誘惑を完全に断ち切る事はできない。そして遂に理性を決壊させる事態が起こる。



 ぐー……。



 典型的な音で、腹の虫が鳴った。

 当然それを鳴らしたのはインデックスである。

 錬金術において、人間は魂・精神・肉体の三要素からなる。いくら精神を抑えこんでも、肉体が反応してしまっては元も子もない。それこそ魂のレベルで何かしなければいけないが、根が食いしん坊のインデックスにとっては無茶な話である。

 イギリス清教に属しているとしても。修道服を着ているとしても。元を正せば、インデックスもただの人間なのである。

 そしてインデックスは、遂に禁断の扉――袋の口をゆっくりと開けた。

 開けた途端、一気に甘ったるい匂いが周囲に放出された。

 甘い物が苦手な人間なら嗅いだだけで気分が悪くなりそうだが、嫌いな物などないインデックスにとってその匂いは甘美としか言いようがなく、ニコチン中毒者にとってのタバコと同義になってしまっていた。

「い、いいにおーい……」

 拡散する匂いを逃さず一気に吸い込んだインデックスは恍惚の表情を浮かべる。その表情を見る限りでは、危ない人間の仲間としか思えない。

 インデックスはゴクリ、と喉を鳴らして、恐る恐るドーナツを取り出した。

 取り出されたドーナツは、よくあるリング形。生地はふわふわで、こんがりと狐色に揚がった表面を白い砂糖蜜がコーティングしている。

「ふ、ふふ……。これがカリスピー・クリーム・ドーナツ……。果たしてどんな味なのかなー……」

 ドーナツを持ちながら、怪しい笑みを浮かべるインデックス。

「それでは、いっただっきま――」

 意を決し、インデックスが大きく口を開けた瞬間、何かがヒュッと眼前を通り抜けたが、彼女は全く気付いていない。

「す!」

 勢いよく口を閉じたものの、待ち望んだ甘い味も、ふわふわの感触も無かった。

「あ……あれ?」

 インデックスが首を傾げながら手元を見てみると、そこにはあるはずのドーナツが無かった。

 慌ててインデックスが周囲に視線を巡らすと、ビルの屋上にカラスが1羽とまっているのを見つけた。目を凝らしてみると、カラスの口元には白と茶の混じったリング形の物体。

「あ―――――!」

 インデックスは野生の泥棒の仕業に叫び声を上げるも、カラスは屋上の端にドーナツを置くと、それを悠々とついばみ始めた。

 ビルの屋上に逃げられてはどうしようも無く、インデックスは涙目になりながら、カラスの食事を眺めているしかなかった。

 と、そこで、インデックスはある事を思い出した。

 袋に入っていたのは、ドーナツが1つだけではなく、2つだった事に。

 インデックスは再度袋を開けて、中を覗き込む。間違いなく、もう1つドーナツがあった。

「……そうだよ。カラスに取られたからって気にしなくてもいいんだよ。まだドーナツあるもん」

 袋からドーナツを取り出し、今度は周囲をよく警戒する。

 さっきのカラスは1つ目のドーナツを食べているので、こっちに興味を示していない。そのカラス以外に、ドーナツを奪っていきそうな生物は周囲にいない。

 今度こそ大丈夫、と自信を持って、インデックスはドーナツに向き直った。

 だが、ここで彼女の動きが止まった。

(……でも。これ食べちゃったら、とうまの分が無くなっちゃうんだよね……。とうまは、わたしがドーナツ買いに行ったの知ってるもんね。だとすると、わたしだけが食べちゃったってのは分かっちゃうし……)

 最後のドーナツを前にして、インデックスは良心の呵責に苛まれ始めたのだ。

 さっきまでは食欲の暴走があったものの、もう1つ上条の分が残っているという事で気兼ねなく食べようとする事ができた。

 しかし、これは本当に最後の1個。

 出かける間際に、上条が『食べてみたい』と言っていたのも、インデックスはしっかり覚えている。

 それを考えると、1人でこれを食べるのはいけない事だと思ってしまうのだった。 それだけはちっぽけではあるが、修道女としての埃もとい、誇りが残っていた。

「う、うぅ……」

 インデックスは唸りながら悩み続ける。

 食べるべきか。

 食べないべきか。

 両極端な選択に思い悩み、そしてインデックスは――、

「いいや、食べちゃえ」

 あっさりと迷いを断ち切った。

 間違っているとかどうとか関係無い。

 ただ、食べたい。

 そんな究極の欲求が勝ったのだ。

 インデックスの食欲の前には、理性や良心など紙屑のようなものだった。

「さーて、今度こそいただきまーす」

 そしてインデックスはその口を開き、ドーナツを食べ――、

「カアーッ!」

 耳をつんざく鳴き声が聞こえたかと思うと、さっきとは比較にならない一陣の風がインデックスを襲った。

「え、ちょ、何? 何なの!?」

 インデックスは慌てふためき、不用心にも片手でドーナツを持ってしまった。そんな隙を見逃さず、暴風はすかさずドーナツを掻っ攫い、空の彼方へ飛んでいってしまった。

 あっという間の出来事に、インデックスはどんどん小さくなっていく黒い暴風――屋上にいたのとはまた違う巨大なカラスの姿をただ見送るしかできなかった。

 そして、その姿が米粒ほどになったところで、

「な――何でこうなるのーっ!」

 インデックスは叫びと共に、この世の無常さを呪った。  世間ではこれを因果応報と言うのだが、彼女の頭にそんな言葉は思い浮かばなかった――。



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