「あれ? インデックスの奴まだ帰ってないのか? おーい、インデックスー?」
気になって呼びかけてみるも返事は無い。しかし玄関を見てみると、インデックスの靴はあった。
「おかしいな。いるはずなのに……寝てんのか?」
怪訝な顔をしながら、上条が部屋の中に進んでみると、不意に体が重く感じた。 一瞬何事かと思った上条だったが、それが室内に蔓延している重苦しい空気の仕業である事に気付き、一歩を後ずさった。
「な――何だ、この重苦しい気配は……! 俺が出かけていた間に何があったんだ!?」
意を決して足を少しずつ進めてみると、とある一点から黒いオーラが撒き散らされているのを見つけた。上条はもしや……と思いながら声をかける。
「えーと……インデックスさん? そこにいるんですかー……?」
「う、うぅ……」
呼びかけてみると、反応があった。あまりにもか細い声で分かりにくかったが、確かにインデックスの声だ。インデックスが家にいた事にひとまず安堵した上条だったが、インデックスの異常さを思い出し、すぐに駆け寄った。
「ちょ、インデックス!? 大丈夫か!?」
上条は電気をつけると、インデックスを抱えて再度呼びかけた。
「うぅ……。と、とうま……?」
大きく揺さぶられた事で意識がはっきりしたのか、力が入ってない声ながらもインデックスは返事をした。
そんなインデックスの様子に逆に上条は興奮して声をかける。
「お、おう! 帰ってきたぞ! どうしたんだ! 何があった!?」
「と、う、ま……。ちょっと、うるさ、い……」
耳元で大声で叫ばれるものだから、インデックスはげっそりとした顔を苦痛に歪めた。
「あ――ああ、悪い」
抗議の声を上げられて、上条は慌てて声のトーンを落とした。
「――それで何があったんだよ? お前朝突然飛び出してっただろ? ドーナツ屋に行ったんじゃなかったのか?」
インデックスは上条に支えられながらのっそりと起き上がると、今日の顛末を話し出した。
ドーナツ屋に行く途中で姫神に会って、ドーナツを貰った事。
そのドーナツを帰る途中でカラスに奪われた事(自分だけ食べようとした事はカット)。
仕方なく、当初の目的通り店に向かった事。
1時間我慢して並び続けた事(サービスのドーナツが出なかった事への不満に大半)。
そして、遂に自分の番になって重要な事――財布が無い事に気付き、意気消沈して帰ってきた事。
それからは部屋で空腹とショックに打ちひしがれながら、ずっと不貞腐れて寝ていた事。
一通り聞き終わって、上条は大きく溜息をついた。まさか自分の懸念がこれほどピンポイントに現実になった事に呆れてしまったのだ。
ただ、カラス云々に関しては『お前は俺か?』と言いたいほどの不幸だと思った。
上条は同情の視線をインデックスに向けると、ポンポンと彼女の肩を叩いた。
「――うん、わかった。お疲れ、インデックス。で、結局ドーナツは無いって事でいいんだな?」
「そうだよ……。ドーナツ、私のドーナツ……。私のドーナツはどこ……?」
夢遊病者のようにうわ言を呟くインデックスの姿に、上条は心底いたたまれなくなり、背後から何かを取り出して、彼女の前に置いた。
突然目の前に置かれた大きな白い箱を、インデックスは虚ろな目で眺めると、上条に向き直った。
「とうま……これ、何?」
「何って。お前はこれが食べたかったんだろ?」
上条の言葉を聞いても、一度停止状態に陥った頭では何の事だか理解できなかったのか、インデックスはすぐには反応を示さなかった。
しかし、やっと頭が動き出して理解が進むと共に、顔にみるみる生気が戻ってきた。
「――え、私が食べたかったって事は、もしかして――」
「もしかしても何も、お前が食べたいって言ってたのはこれじゃないのか? あれ? もしかして俺、店間違えてたか?」
ポカンとするインデックスに、上条は間違っていたのかと不安になってしまう。
刹那、インデックスはさっきまでとは打って変わった俊敏な動きで箱に飛びつくと、乱暴に蓋を引っぺがした。
「ちょっ! インデックス!?」
上条は慌てて止めようとするが、間に合う訳も無い。
既にインデックスは箱の中から待望のドーナツを取り出し、まるで神様でも崇めるかのように頭上に掲げていた。
「お、おお……。これがカリスピー・クリーム・ドーナツ……!」
インデックスは目を光らせながら、運命の対面を果たしたドーナツをしばらく眺めていた。 そして、ふるふると手を震わせながらドーナツを口元まで下ろすと、パクッとかぶりついた。
目を閉じて、真剣な表情で咀嚼するインデックスの姿は、全身全霊をかけてドーナツを味わおうとしているのがありありと見て取れた。
時間にすると数十秒。インデックスは静かに目を見開くと、「お、おぉ……」と呻きだしたかと思うと、目にも止まらない早業で、一瞬の内にドーナツ1個をお腹の中に収めてしまった。
それから、またもやふるふると震えだすと、突然スクッと立ち上がり、
「お――美味しーっ!!」
寮中に響き渡るような大声で叫んだ。
ここからの行動も速かった。インデックスはすぐさま次のドーナツを手に取って食べ始めた。
いきなりの出来事にひっくり返っていた上条だったが、起き上がってドーナツの箱に近付き、箱からドーナツを取り出した。
上条に習うように、スフィンクスもまた箱からドーナツを引きずり出した。
「……マジでそんなリアクションするほどなのか? ……ま、食べてみればわかる、か――」
言って、上条とスフィンクスはドーナツを一口かじった。
するとその表情は、一瞬で驚嘆へと変貌した。
「な、何だよこれ! めちゃくちゃうめえじゃねえか!」
上条とスフィンクスは残ったドーナツをインデックスのように一気に食べると、すぐに次のドーナツを食べ始めた。
ここからはもう全員無言だった。
一心不乱に、2人と1匹はむしゃむしゃとドーナツを食べ続け、あっという間に12個入りの箱は空っぽになってしまった。
上条とインデックス、そしてスフィンクスは、食べ終わると仰向けになり、一様に幸せに満ちた表情を浮かべていた。
「とうまー……。美味しかったねー……」
「ああ……。マジで旨かったな……」
「にゃー……」
口々に2人と1匹は感想を漏らす。
美味しい物を食べると、人は言葉を無くす。
感想は短く単純だったが、態度は、美味しさを如実に表すものだった。
と、インデックスは仰向けからぐるっと体を回してうつ伏せになると、上条に顔を向けた。
上条はうつ伏せのままなので、上下逆さまの格好でインデックスの顔を見る。
インデックスは満面の笑みで、
「ありがと、とうま! 美味しかったよ!」
上条に感謝の言葉を述べた。
「ああ、そりゃよかった――」
つられるように、上条も笑みを浮かべる。
実際、並ぶのは面倒だった。上条もまた1時間ほど並ばされて、途中で帰ろうかと何度も思っていた。
ドーナツも12個買ってきたが、このドーナツはそれほど安い物ではない。上条のお財布は今月も大ピンチになるのはほぼ確定だ。
だが、少女が笑って礼を言ってくれるだけで、少年は満更ではない気分になるのだった――。
Fin...