ひと働き終え、休憩時間になった御坂は、店員用控え室で椅子の背もたれに体を預け、疲れを癒していた。
「あー……、疲れたー……」
まるで魂が抜けるかのように、宙に大きく息を吐き出す。御坂の顔には疲労の色が色濃く浮かんでいた。
ここ2日で御坂が知ったのは、この店はそれほど忙しい店ではないということ。来るには来るが、待ち客が出るほどでない。と、思っていたが、今日は違った。
最初は少しの待ち客だと思っていたら、どれほど客をさばいても待ち客が減らない。それどころか増えていたぐらいである。
そんな状況に、一時働きである御坂以上に、店長の北南が一番驚き、馬車馬のように動き回った。キッチンで料理を作っていたかと思えば、いつの間にかホールでメニューを取っている。かと思えばまたキッチン、と縦横無尽の動きを見せた。
当然、御坂や小巻達も目が回るような忙しさで働き、今はやっと客が引いて、休憩時間が取れるほどになっていた。
「ほんともー、何だったのかしらねー。あの忙しさは……」
愚痴りながら、御坂が店員用に常備されているお茶で喉を潤しているところで、控え室のドアが勢いよく開いた。
驚いた御坂が咄嗟にドアを見ると、そこには小巻が立っていた。
「ど、どうしたの? 小巻さん?」
「……御坂さん。休憩中悪いんだけど、ちょっとホールに出てくれない?」
訳がわからず、御坂は目を点にした。一瞬頭がフリーズしてしまったが、すぐに思考を戻す。
「えっと……何か、ありました?」
御坂の問いに、小巻は困ったような、笑ったような複雑な表情を浮かべ、言い難いのか小声で話し始めた。
「そ、それがね。さっき来たお客様が御坂さんを出せって言い出されて……。私や店長が御坂さんは今休憩中だから無理だと言ったんだけど、『お姉様を出しなさい! 私はお姉様のバイト姿を見に来たんですの!』と言って聞かなくて……。知り合いかどうか尋ねようと思ったんだけど、その態度に店長が腹立てちゃったみたいで……」
小巻の説明に、御坂は頭を抱えたくなった、というか抱えた。
御坂の頭には、今1人の人物が浮かんでいる。あんなことを言う人間は、御坂の知り合いには限られている、というより1人しか思い浮かばないのだ。
御坂は大きく溜息をつくと、椅子から立ち上がる。
「OK。私がいけば問題解決なんでしょ? なら行くわ。私の知り合いみたいだしね……」
「ご、ごめんなさいね。ほんとにっ」
「小巻さんが悪いんじゃないから謝らないで。謝らなきゃいけないのは私の方だわ……」
よくわからずキョトンとする小巻を置いて、御坂は力のない足取りで、ふらふらと控え室を後にした。
●
「だーかーらー! お姉様を出しなさいって言ってるんですのっ!」
「だーかーらー! 理由もわからずそんなことできる訳がないだろ、常識的に考えて!」
店内に男と女の大声が響き渡る。
男は当然、店長の北南。女は、髪の左右をリボンで留めたツインテールの少女。
そんなに広くない店内で騒ぐものだから、客達の視線は全て2人に集中している。
御坂はそんな光景を見て、再度大きく溜息をつく。
心の中で『どうかあの子じゃありませんように!』と献身に祈っていたのだが、その望みは叶えられなかった。
神様なんて信じるもんか、と思いながら、御坂はそのテーブルへと向かう。
だが、2人はというと、問題の御坂が来たのにも関わらず言い争いを止めない。あまりにもエキサイトし過ぎて、周囲に目が向いていないようだ。
「あのさー……」
「ここの制服はアン○ラ風なんでしょう? 何でニーソなんですの!?」
「お前は何もわかっちゃいない! ニーソの素晴らしさを!」
御坂が口を挟むのだが、ヒートアップしている2人にその声は耳に届かない。
「あのねー……」
「何が素晴らしさですの! 元々個性が強い物にさらに個性を追加するなんて、邪道としか思えないですの!」
「だからお前はダメなんだ! 個性に個性をプラスで、プラスどころか掛け算の効果をだな――」
ただ話を聞かないのなら、まだ許したのかも知れない。
だが、今の2人はどうやら違う話題で夢中のようで、それが遂に御坂の逆鱗に触れた。
「アンタら、いい加減にせんかー!!」
怒りが込められた容赦のない一撃が繰り出され、2人共テーブルの椅子へと吹っ飛んだ。
いきなり加えられた衝撃に目を丸くする2人だったが、先に北南が起き上がって、やっとこさ御坂を視界に収めた。
「い、いきなり何をするんだ! ビックリするじゃないか!」
「何事かと思ってわざわざ来てみたのに無視してんじゃないわよ! 私を呼べって話だったんでしょ!?」
「む……、そういえばそうだった気がする。こいつがいつの間にかうちの制服にいちゃもんつけてきたからつい、な」
「『つい、な』じゃないわよ! アンタ店長なのにそんなんでどーすんのよ!」
御坂の言い分があまりにも正論過ぎて、北南は言い返すことができない。甘んじて説教を頂戴しているところで、少女の方も起き上がった。
「あたた……、いきなりなんですの、まったく……」
殴られた箇所を押さえながら体を起こした少女は、目の前で北南を叱る御坂を見ると、
「お姉様ーっ!!」
獲物に飛びかかるる猫のように飛びついた。
横方向からの衝撃に、御坂は大きくバランスを崩し倒れそうになるが、そこを何とか踏ん張る。
「ちょっと止めなさいよ、黒子! 私が出て来た途端にこれか!」
御坂は腰辺りにしがみつく少女、白井黒子をバシバシと叩きながらひっぺりがそうとする。しかし白井は幸せそうな表情でがっしりとしがみつき離れようとしない。
「……なんだ。知り合い、だったのか?」
御坂と白井の親密にしか見えない光景を見て、北南が問いかけると、御坂はひっぺりがしながらまた溜息をついて、
「残念ながら、私の知り合いです……」
●
所戻って控え室。
これ以上は店に迷惑をかけるかも知れなかったので、御坂と白井は控え室へと移動していた。
北南は『仕事がある』と言って、バツが悪そうにさっさと店内か店長室に行ってしまったが、小巻は自分も休憩時間ということで残っている。
「そういえば、白井さんってこの前御坂さんと一緒にいらしてましたね」
「そうですの。まあ、あの時は注文だけして帰ってしまったかしら、このパイも食べれずじまいでしたけど」
白井はチョコレートパイを食べながら、小巻と話に興じる。だが、御坂だけは不機嫌そうな表情のまま座っている。
「――で、黒子。何しに来たのよ?」
「何って、普通にお茶しに来ただけですの。この前食べ逃して悔しい思いもしましたしね」
「お茶しに来ただけ、ね〜。その割にはさっきのは何? 私を出せって騒いでたじゃないの」
御坂の指摘に、白井は視線を御坂から逸らして明後日の方向を向く。
「わ、私はただお姉様がここで働いてるって聞いてたのでちょっと呼んでもらおうと思っただけですのー」
「全くそんなことなら私に連絡かければいいじゃないの。わざわざ店長と喧嘩までする必要ないじゃない」
「それはその……。お姉様が働いてるのをこっそりと眺めて楽しもうと思って、あわよくばお姉様が働いてる姿を写真に――」
「何か言った?」
「な、何でもありませんのっ!」
御坂が冷たい笑いを浮かべながら、白井の言葉を遮った。静かに湧き上がる怒りのオーラを感じて、敬礼と共に喋るのを止めた。
そんな2人の光景に、小巻はくすっと笑いを漏らした。
「お2人共仲が良いんですね。お2人は常盤台の先輩と後輩なんですよね」
「先輩と後輩だけでなく、寮のルームメイトって肩書きもつきますの」
「ああ、なるほど。それもあるんですね」
「ま、ルームメイトになるためにこの子が色々やったりしたらしいんだけどね」
「え?」
「な、何でもありませんのっ! あれは平和的話し合いによって、穏便に部屋替えが行われたんですの!」
小巻が疑問を浮かべたが、白井は大きく腕を振って誤魔化した。
「ま、私としてはどうでもいいけどね。――さて、と。そろそろ私休憩時間終わりだから戻るわ。黒子、アンタはどうすんの?」
椅子から立ち上がり、エプロンを付け直しながら御坂は白井に問う。白井はテーブルに置かれたパイとティーカップに視線を向け、
「まだパイも残ってますし、席が空いてるなら店内に戻ります。お姉様の仕事姿も見たいですし」
「さっさと帰れ」
「ああっ! その突き放しっぷりがたまらないっ!」
御坂の言葉に白井は身悶える。くねくねする白井に今日何度目かわからない溜息をついて、御坂は白井を放って控え室を後にしようとする。
が、突然白井が
不意をつかれた御坂は、さっきと違って踏ん張ることもできず、簡単に押し倒されてしまった。
「ちょ、ちょっと黒子!」
「あー、お姉様ー。いつもの制服や私服もいいですけど、ア○ミラ風の制服もまたたまらないですの!」
「あー! もうだからアンタはいちいちくっつくな!」
「あの……、もしかしてお2人ってそういう関係だったりするんですか……?」
「そうですのー。ですから今から××なことをしちゃおうなんて思ったりなんて」
「えっ! ……えーっと……私、外に出てた方がいいですか……?」
まさかの答えに、小巻は顔を真っ赤にして問う。
「ストップ! 待った! 出てかないでこの子を止めてっ!」
「うふふー、お姉様ー」
「……あ、あの……ご、ごゆっくり!」
御坂の静止の声を聞きはしたが、目の前で繰り広げられる光景について行けず、小巻は控え室を後にした。
「だから待ってってー!」
涙目になりながら、御坂は届かない叫びをドアの向こうに放つ。しかし、答える者は誰もいない。
その後、控え室に電撃が走ったのはすぐ後である――。