「すごいね、御坂さん。もう教えることないよ」
「そうでもないわ。いくら練習でできるからって、本番でできるとは限らないし」
「練習だとしても本当にすごいよ。私このマニュアル研修だけで1週間かかっちゃったもの」
更衣室での騒ぎの後、御坂は小巻に接客のやり方を教わっていた。
マニュアル通りに、最初は接客の基礎、挨拶や笑顔から入ったものの、お嬢様学校で知られる常盤台中学の学生である御坂にとって、外面を作ることは至極簡単なことだった。
それからマニュアルを順に辿って行ったが、お客の案内や注文の取り方、レジ打ちなども、御坂は簡単に理解し、余裕でこなしてしまう。
昨日帰る前に一応マニュアルは渡されていたとはいえ、御坂の完璧具合に、小巻は『私が教える必要あるのかしら?』と苦笑するしかなかった。
あまりにも順調過ぎて通し練習も終えてしまい、今2人は休憩を入れていた。と、そこに、店長の北南がやって来た。
「――小巻君。新人の研修は順調か?」
「あ、店長。順調も順調。もう通し練習も終わりましたよ!」
興奮して言う小巻に、北南は眉をひそめた。
「通し練習がもう終わった? ……内容は問題ないのか?」
「数時間しか研修してないのに、私よりできるぐらいですよ!」
「ちょっと小巻さん、言い過ぎ……」
恥ずかしくなって御坂は止めようとするが、小巻は御坂を持ち上げ続ける。そんな小巻の話を聞き、最初は疑い顔だった北南もその色を薄くしていく。
「小巻君がそこまで言うなら……御坂君、ここまで言われているが、自信はあるかい?」
「正直なところそこまで自信は……。でも、どっちみちやるのなら、いつでも一緒かと」
御坂のはっきりとした答えに、北南は「ふむ」と一言頷き、
「なら、早速ホールに入ってくれ。今日は人が足りないんだ。よろしく頼む」
「わかりました」
「私はキッチンにいるから、小巻君。何かあった時は御坂君をフォローしてやってくれ」
「わかりました! 御坂さん、がんばろうね!」
2人の返答を聞くと、伝えることは伝えたといった感じに、北南はさっさとキッチンの方へと消えて行った。
そこにタイミングよく、来客を告げるベルの音が店内に響いた。
御坂が横の小巻に視線を向けると、小巻は既に御坂の方を向いていて、
「御坂さん、初仕事だよ! がんばってね!」
ガッツポーズと共に、小巻は晴れやかな笑顔で言った。
あまりにもいい笑顔で言われてしまい、御坂は拒否権がないことを即座に悟った。
「……それじゃ、がんばってきますかね――」
御坂は意を決して、入り口へと向かう。途中でレジから手際よくメニューを取ると、入ってきた客の前に立ち、
「いらっしゃいませ、お客様。何名様ですか?」
●
「オーダーお願いします! ハンバーグセット、ライスでお願いします!」
「りょーかーい!」
キッチンとホールを隔てるカウンターで、小巻はオーダーを告げた。
元気な返答が返ってきたので、小巻はホールに戻ろうとしたところで北南に声をかけられた。
「どうだ、御坂君の調子は?」
「全く問題ありませんね。最初はさすがに緊張してたみたいですけど、すぐに慣れちゃったみたいで」
北南と小巻は、カウンターからホールを見る。2人の視線の先には、きびきびと動き回る御坂がいた。
客に呼ばれるとすぐに駆けつけ、水と言われれば即座に持って行く。客がレジに向かおうとしても、すぐに動いて待たせることなく応対する。今日から働き始めたとは思えないほどの働きぶりだった。
「……最初は厄病神かと思ったが、意外にいい拾い物をしたかもしれんな」
「本当にいい動きしますねー。うちで一番ベテランでも、あそこまで動けるかな?」
2人が感心していると、御坂があるテーブルに向かって、そこで動かなくなった。
「ん? どうしたんですかね? 何か問題でしょうか?」
「おいおい、褒めたとこでこれか?」
引き続き眺めていると、相手の客の男が急に立ち上がった。その顔は真っ赤で、激しく口を動かしているのを見ると怒っているようだ。
だが、御坂も負けていないようで、2人からはよく見えないが、男と何かを取り合いながら言い争っている。
「喧嘩かよ……。全く、何だって……」
呆れながら北南が仲裁に向かおうとキッチンを出たところで、ドサッと言い争っていた男が倒れた。
「ちょ、ちょっと待て!」
慌てて北南が御坂のところにやって来ると、男が煙を立てながら倒れていた。その傍らには未だ怒りが収まらないのか、不機嫌顔の御坂が男を見下ろしていた。
「御坂君! 何でまたこんなことしたんだ! お客様だぞ、相手は! それに下手に電撃を使うなって昨日――」
「盗撮されてたんですよ」
北南の言葉を遮って、御坂が告げた。
「盗撮? 本当か?」
「嘘だと思うならそこの携帯見ればどうですか? あ、でも今のでデータ飛んでるかも。ちなみに今回は大丈夫ですよ。ちゃんと抑えましたから」
悪びれずに言う御坂に北南は多少の不快感を覚えながら、脇に転がっている携帯を拾った。
幸いデータは飛んでいないようなので、すぐにデータフォルダをチェックすると、確かに中には御坂を撮った写真やそれだけでなく小巻や他の店員達も収められていた。
「全くまたか……。小巻君、警備員に連絡してくれ」
「わ、わかりました!」
遅れてやってきた小巻に指示を出すと、北南は御坂に向き直った。
「疑って悪かった。この類のは多くてね、うちの店は。ところで、どこも何ともないか?」
「ええ、特に。ただ、できれば今すぐにでもその携帯を壊してやりたいですけど」
「証拠品だからまだ勘弁してくれ。まあ、今後はこういうのがいたら容赦なくやってくれ。男は基本キッチンにいるから、いつもすぐに対応できないんでな」
「いいんですか?」
「ああ。店の電化製品に影響がないなら、な」
北南が笑って言うと、御坂も笑って返した。
こうして、御坂のアルバイト1日目は過ぎていった――。