少女、
彼女は中学2年生で、まさに思春期真っ只中。悩みがない方がおかしいとも言える。大人に向けて否応なしに体が成長し、それにつれて精神も変化していく。それゆえに悩みが尽きないのは致し方ない。
しかし彼女の場合、深刻な病気は患っておらず、学業にも特段問題はない。優しい両親、まだ幼くかわいい弟、仲の良い友人に囲まれ、学校でも私生活でも何ひとつ問題はない。平凡な日常を送れていた。
そんな彼女の悩みは何かというと、
「あの夢……一体何だったのかなぁ……」
ぽつりと言葉を漏らした彼女は、物憂げな瞳で空を見つめた。
最近になって毎晩見るようになった夢。
それが彼女の悩みだった。
ただの夢なら何も問題はないのだが、その内容があまりにも衝撃的で、まるで何かを暗示するようで――
●
崩壊した街の中で、まどかは立ち尽くしていた。
ビルはどこもかしこも崩れ落ち、そこかしこで火の手が上がっている。空は暗雲に包まれ、不吉な印象をさらに濃くしていた。
よく見てみれば、その街並みは自分が過ごしている見滝原市のものだった。
他の街では少ない近代的なビルが立ち並ぶ様子を見間違えるはずはない。とは言っても、ここまで酷い状況だと違うようにも見えてしまうし、そして間違いであると思いたくなるほどだった。
「――まどか、運命を変えたいかい?」
惨状を見て呆然としていた彼女に、声がかけられた。
声のした方に振り返ってみると、猫のような狐のような不思議な白い生き物が、大きく真ん丸な赤い瞳をこちらに向けていた。
「君ならこの運命を変える事ができる。君にはそれだけの力があるんだ」
この生き物が何なのかまったく分からなかったが、なぜかその言葉に強く惹かれてしまった。
「……本当に? 私にそんな力があるの?」
「ああ、君にはとてつもない力がある。これまでになった人間達の、そのどれをも凌駕するだけの力が君にはあるんだ」
強く断言する言葉。
愛くるしい姿ながらも無表情な瞳を向けてくる謎の生き物に、まどかは視線を奪われていた。
だが、その視線の片隅で、人影が動いているのをまどかは見た。
横倒しになってしまったビルの屋上で、長い黒髪の少女がボロボロになりながら、必死で何かを叫んでいる。
しかし、その言葉は周りの騒音にかき消され、まどかには届かない。
それでもなお少女は叫び続けるが、目の前の生き物は気にも留めずに、ただ己の言葉を続ける。
「さあ、まどか。君の望むように運命を変えるんだ。そのために――」
そこで白い生物は小首を傾げ、
「僕と契約して、魔法少女になってよ!」
●
「……本当、不思議な夢だったなあ……」
「……まどかさん? どうかしましたか?」
ぼんやりとしている彼女を不審に思ったのか、隣の席の
まどかは慌てて意識を戻すと、取り繕うようにわたわたと両手を振った。
「な、何でもないよっ。ちょっとぼーっとしてただけ」
「そうですか? 体調が悪いのでしたら、保健室にでも行かれた方が……」
「大丈夫。大丈夫だから。それに保健委員の私が保健室に行っちゃったら、みんな困っちゃうよね」
「ふふっ、そうですわね。まあ大丈夫で何よりですけれど、体調がよろしくなかったら無茶せずに言って下さいね」
「うん、ありがとう」
心配性な友人はそれで納得したのか、前へと向き直り、授業へと意識を戻したようだ。
それに合わせてまどかも授業へと意識を戻そうとするが、今ひとつ集中力を欠いていた。
さっきの夢の内容が気になって仕方ないというのもあるが、それに並ぶほど気になる存在が教室にいたのだ。
まどかから見て右斜め前。教室の最前列の机に座る1人の少女が、気になって仕方なかった。
その少女は転校生で、名前を
容姿端麗で成績優秀、運動神経も抜群と完璧に近いようなスペックだが、彼女の目はどこか冷たく、持つ雰囲気は周囲の人間をおいそれと近づけない。
まさにクールという言葉がピッタリの人間だった。
そんな彼女の最大の特徴は、腰辺りまですらっと伸びた長い黒髪。
そう。
まどかが夢で見た少女。
まどかに向かって叫び続けていたあの少女にそっくりだったのだ。
(ほむらちゃん……、話しかけても素っ気なくて、あまり喋れてないんだよね……)
あまりにも気になって何度か話しかけてはみたのだが、他のクラスメイト同様、話は始められてもそれを続けることができなかった。
ただ、最初話しかけたとき「暁美さん」と呼んだのだが、「ほむらでいいわ」と言われたので、「ほむらちゃん」と呼ぶようにはなっていた。
一応他に話しかけた人に確認してみると、名前で呼んでいいと言ってもらえたのは、どうやら自分だけのようだった。
それだけでまだチャンスはあるかと思ったのだが、それ以上は深く踏み込ませてはくれなかった。ひかえめなまどかでは、相手が話に乗ってくれないのではどうしようもない。
(しっかり話をしてみたいんだけど、どうにかできないかなあ……)
そんなまどかの悩みとは裏腹に、授業はすんなりと進み、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響くのだった――。
●
「それじゃあ、まどか、また明日ねー!」
「うん、さやかちゃん、またねー」
ぶんぶんと手を振りながら遠ざかっていく友人、美樹さやかに、まどかは手を振り返す。さやかの姿が見えなくなったのを確認してから、まどかは踵を返して自分の家へと足を向けた。
「ちょっと遅くなっちゃったかな。急いで帰らないと」
太陽は深く沈み、周囲は夕日のオレンジ色だけでなく、夜の黒が混じりつつあった。
家族に心配をかけたくなかったので、まどかは少し急ぎ気味で歩くようにした。
だが、そんな彼女の脳裏を、ふと疑問がよぎった。
「……ここって、こんなに人が少なかったっけ?」
そんな疑問が浮かぶほどに人気がないのだ。車道にも歩道にも、自分以外に動くものがなかった。
いくら人が少ないエリアだとはいっても、ここまでではないだろう。
一体何が起こっているのか――。
思わずまどかの歩みが速くなる。
歩きから早歩きに。
早歩きから小走りに。
小走りから走りに。
それにともなって、彼女の不安が大きくなる。
鼓動が速くなるのが、走っているせいなのか、恐怖のせいなのか。
今のまどかにはまったく判断できない。
ただ一心不乱に安堵を得られる場所を目指す。
もう少しで自分の家が見えてくる。
そう思った矢先、彼女の目の前に見慣れぬものが待ち構えていた。
――いや、見慣れぬものというのは間違っている。
これまでにその姿は何度も見ている。
もう何度も。何度も。目に焼きつくほどに見ていた。
授業中でも。
歩いていても。
遊んでいても。
食事をしていても。
風呂に入っていても。
布団に入っていても。
気になって仕方がなかった夢ででてきた、その姿――。
「そんなに走ってどうしたんだい、まどか?」
どんな動物とも違う、まるでぬいぐるみのような白いそれは、夢と変わらず赤く真ん丸な瞳をまどかに向けていた。
「あ、あなた――」
「待っていたよ、まどか。僕は君と話がしたかったんだ」
突然のことに驚き、言葉に詰まるまどかを尻目に、謎の生き物は言葉を続けた。
「でも人間は集団生活がメインだからか、1人になるときが少なくて困ったよ。君の家でもよかったんだけど、家族がいるところだといつ割り込まれるかわからないもんね」
「あ、あの――」
「ああ、ごめんごめん。話が逸れちゃったね」
白い生き物は大きな尻尾を振りながら、口も動かさずに喋り続ける。
「僕はキュゥべぇ。君にお願いがあってきたんだ」
「あなた、キュゥべぇって言うの? 私は――」
「鹿目まどか、だろう? 大丈夫、君のことはちゃんと知っているよ」
「え、ええっ!?」
(な、何で私のこと知ってるの!? というか今思うと、この子喋ってるよね!?)
またも驚くまどかだったが、やはりキュゥべぇは気にも留めていないようだ。小首を傾げつつ、そのまま話し続ける。
「それでまどか。僕に力を貸してくれないかい?」
「力、を? で、でも、私は特に何もできるようなことないよ?」
戸惑うまどかだったが、キュゥべぇは胸を張るように首を上げ、
「そんなことはない。君には誰にも負けない力がある。いや、負けないなんてレベルじゃない。誰とも比較にならないすごい力を持っているんだよ。――ただ、そのためにはちょっと条件があるんだけどね」
「……条件?」
自分に力があるというのは、夢でもこのキュゥべぇが言っていた。それも運命をも変える力があると。
しかし、そのときには条件など言っていただろうか?
「うん。その条件というのはね。――僕と契約して、魔法少女になってよ!」
「魔法……少女?」
「そう、魔法少女。僕と契約して魔法少女になってもらえば、君は君が持つ力を最大限に発揮して、強力かつ様々な魔法を使えるようになるんだ!」
「私が、そんなすごい存在に――?」
まどかは興奮を覚えていた。
自分には、人より秀でた力があるなどと思ったことなどなかったからだ。
勉強の成績は普通だし、運動も人並みというよりは多少劣るぐらい。容姿は子どもっぽさが抜けず、友人のように異性から告白されたこともない。
(こんな私に、そんな力が……!)
キュゥべぇの誘いはとても魅力的だった。
何をすればいいのかは分からない。それでも、キュゥべぇと契約しさえすれば、誰にも負けないらしい自分の力を引き出すことができる。
あの夢でも、自分が契約すれば、あの悲惨な結果を迎える街の運命を変えることができる。
そして、女の子なら一度でも憧れを持つであろう、
『魔法少女』
という言葉にとても引き付けられていた。
だからこそまどかは、恐る恐るではあったが声を絞り出す。
「私、なってもいいよ――」
「本当かい!?」
まどかの答えに、キュゥべぇは喜びを表現したのか、ピョンと一度飛び跳ねた。
そして着地を決めてから、改めてまどかにその瞳を向けた。
「それじゃあまどか! これから早速契約を――」
キュゥべぇの言葉は最後まで紡がれなかった。
遮ったのは、耳をつんざくような銃声。それは1発ではなく、10発以上連続して聞こえた。
その結果として、キュゥべぇの体には無数の穴が空き、無残な姿を晒すこととなった。
「きゃ、きゃあああああああああああああ!!!!」
悲鳴を上げたまどかは、すぐにキュゥべぇに駆け寄り、その体を抱き上げた。
「きゅ、キュゥべぇ! キュゥべぇ!」
呼びかけるものの、体の半分以上が穴になってしまったキュゥべぇが返事することはない。それどころか生命の鼓動さえも感じさせなかった。
「こ、こんな……。こんなの誰が……!」
まどかは顔を上げて、キュゥべぇをこんなにした犯人の姿を探そうとする。
だが、犯人はすぐに見つかった。
元々周囲に人はいなかったのだ。
だとすると、こんなところに立ってこちらを眺めている人間は犯人の最筆頭だろう。
しかもその人物が、無骨な黒いシルエット――拳銃を手にしているのでは、間違えようがない。
しかし、犯人の姿を見て、まどかは驚きのあまり言葉を失った。
(そんな――。そんなまさか――、あの人が犯人なんて――!)
目を見開き、犯人を見据えたまどかは意を決して言葉を捻りだす。
「何で――何でこんなことしたの!?」
そこでひとつ呼吸を入れ、まどかは力いっぱいに叫ぶ。
「――――ねえ、ほむらちゃんっ!!」
街灯の明かりの下、暁美ほむらがそのクールな瞳をまどかへと向けていた。
その手には、少女には不似合いな拳銃が握られていた――。