第一章 路地に君臨する者 Ignition.

    1

 東京西部に存在する『学園都市』。

 独立した教育機関であるその街には、『外』とは違う治安維持組織が二つ存在する。

 一つは『警備員』。教員で構成され、能力者をも取り押さえられる強力な次世代兵器で武装することもある。

 そしてもう一つが、学生が主体の『風紀委員』。基本的に校内の治安維持にあたるが、管轄は郊外にも及び、パトロールをしたり、時には街の掃除をしたりもする。

 この二つの組織によって学園都市の治安は守られており、その支部は学園都市中に存在する。

 学園都市第七学区の一角にある雑居ビルの二階には、風紀委員第一七七支部がある。

 そこのそれほど広くもない一室に、右腕に盾をモチーフにした風紀委員の腕章をつけた少年少女達が集まっていた。

 その中の一人、半袖のブラウスと紺色のベスト、首元には黄色のリボンタイ、チェック柄の灰色のプリーツスカートという出で立ちの眼鏡をかけた少女、固法美偉が口を開く。

「伝達事項だけど、近頃複数の不良グループによる暴力事件が多発しています。警備員から要請があり、風紀委員もパトロールを強化することになりました。巡回区域にも若干変更があるので、各自確認しておいて下さい」

「おいおい、マジかよ。暴力事件っつっても、これまでも普段から起きてんじゃん。強化したところで一緒じゃね?」

 風紀委員の少年の一人が面倒だと言わんばかりに発言し、それに同意するように数人が頷いた。固法は一つため息をつくと、

「単に不良同士の喧嘩ならここまで警戒態勢を取らないんだろうけど、一般人への被害が出ているの。以前と比較すると、三〇〇パーセント強で」

「三倍!? そ、それは増え過ぎだろ……」

 少年が驚きの声を上げ、周囲の人間にも驚きの表情が広がる。それが鎮まるのを待たずに、固法は言葉を続ける。

「不良グループはスキルアウトもいれば、それなりの強度を持つ能力者もいるらしいわ。さすがに高強度の能力者は一般人では相手にならないから、パトロールの強化が必要なの」

「でも俺らだって高強度の能力者を相手にできるほどじゃ……」

「さすがに装備も整えていない状態で戦えとは言う訳ないし、警備員からも言われてないわ。でもパトロールによって事件を早期に発見し、警備員に通報するだけでも十分効果があるの。だから、しっかりお願いします。――という事で、今日のミーティングは終了。みんな、お疲れさま」

 固法の終了の言葉を合図に、人だかりがバラバラと崩れていく。外にパトロールに行く者もいれば、デスクワークを始める者もいる。各々が職務に入ったことを確認した固法も、たまった書類を片づけようと机に向かおうとしたところで、

「固法先輩。少しお聞きしたいことが」

 突然呼びとめられ振り向いてみると、茶色の髪を赤いリボンでくくったツインテールの少女と、頭につけた大量の髪飾りが特徴的な少女が立っていた。

 どちらも固法の風紀委員としての後輩で、ツインテールの少女は白井黒子、髪飾りの少女は初春飾利だ。白井は半袖のブラウスにサマーセーター、灰色のプリーツスカートという常盤台中学の制服を着ており、初春は柵川中学のセーラー服姿だ。

「どうしたの、白井さんに初春さん。さっきのミーティングで何か分からないことでもあった?」

「ちょっとした質問ですわ。先ほどの暴力事件の増加についてですが、原因は分かっているのですか?」

 投げかけられた質問に、固法は内心でため息をついた。

(この子、また自分で解決しようとするんじゃないでしょうね……)

 白井黒子という人間はとても正義感が強く、行動力もあり、それらに見合うだけの力――大能力――の能力を持っている。だが、その自尊心ゆえに時折暴走してしまっているのが玉に傷だった。

 昔に比べればマシになったようだが、それでも気になるものは気になってしまう。学校は違うとはいえ、彼女もまたかわいい後輩なのだから。

 しかし、職務上の質問としては何らおかしいところもないので、答えない訳にはいかないだろう。

 固法は机に置いたノートPCを叩くと、情報を表示させた。

「原因は不良グループの抗争らしいわ。何でも第一〇学区を根城にしているグループが他学区に縄張りを広げようとしたみたいで、それが別のグループの癇に障ったみたいね」

「第一〇学区というと、『ビッグスパイダー』の根城もそこでしたね」

「……そうね。場所柄、不良グループの根城になりやすいのかもね……」

 初春の言葉に、固法はどこか遠くを見ながら呟いた。

 第一〇学区は、学園都市唯一の墓地が存在する学区で、少年院や実験動物の廃棄場などもあるからか、最も地価が安い。そのせいかあまりよろしくない人間も集まりやすく、『ストレンジ』と呼ばれるスラム地域まで存在してしまっている。

 そして『ビッグスパイダー』とは、その『ストレンジ』を根城にしていた無能力者の武装集団、スキルアウトだ。二ヶ月ほど前、第七学区で起きた能力者狩りの主犯であり、白井達の活躍によって、組織は壊滅していた。

 その情報だけではロクでもない集団のようだが、創設時はそれなりにまともな集団で、一時固法が所属していたこともあったのだ。それゆえに彼女なりに思うところが色々あるのだ。

「ま、今は『ビッグスパイダー』もありませんの。そうなると当然別の不良グループということですけれど、そのグループについての情報はあるのですか?」

 少し言葉に迷っている様子の固法に気づいたのか、黒子は次の話題を振ってきた。固法としてはその反応がありがたかったので、ノートPCを操作して次の情報を取り出した。

「グループの名前は判明しているわ。グループ名は『フラワーアート』。スキルアウトじゃなくて、能力者を中心とした不良グループよ」

「『フラワーアート』ですか? 名前だけ聞くと、あまり怖そうじゃないですね」

「名前だけで判断すると痛い目を見ますのよ、初春。それで他に特徴は?」

「それが特に情報がないのよね。リーダーの顔や名前でも分かれば、能力者ということで辿りやすくなるんだけど、そのリーダーがあまり表に出てきてないみたいなのよ」

「下っ端だけ働かせて、自分は高みの見物ということかしら。感心しませんわね」

 白井は呆れたようにため息をつく。

「でも、そのせいで素性が明らかになってないんだから、計算ずくだとしたら十分賢いわ」

「そうですね。かなり慎重なタイプの人なんでしょうか?」

「その辺りも今後は調べないといけないけれど……、あ、そうそう。あなた達、これだけは言っておくわよ」

「何ですの、固法先輩?」

「? 何ですか?」

 キョトンとした顔になる白井と初春に、固法は人差し指をビシッと立てながら、

「根城が第一〇学区というのが分かったからって、勝手に調査に行くのは禁止だから! 独断専行したらまた始末書よ!」

「そそ、そんな気などさらさらありませんわよ、オホホホ……」

 鬼気迫る勢いの固法に、白井は思わずのけぞってしまう。彼女の顔には、先に言われてしまったか、と残念そうな表情が浮かんでいる。

「白井さん、行く気満々だったんですね……」

 あまりにも見え透いていたせいで、初春も呆れて言葉を漏らす。

 固法は白井の肩をガシッと掴むと、顔を思いっきり白井の顔へと近づけた。

「勝・手・な・行・動・は・慎・む・べ・し! はい、復唱!!」

 眼鏡の奥に見える真剣かつ怒りが混じった瞳に、白井はまたものけぞりそうになるが、肩がロックされて後ろに下がれない。

 固法の視線に射抜かれた白井は仕方なく、復唱を始める。

「か、勝手な行動は極力――」

「絶・対!!」

「ぜ、絶対に慎みますの……」

     2

「やれやれ、固法先輩のしつこさにも困ったものですわ。あそこまで注意しなくても、わたくしは言う事聞きますのに……」

 先ほどの強い念押しが気に入らなかったようで、第七学区の路上を歩きながら、白井は愚痴をこぼしていた。

 しかし、彼女の隣を歩く初春は、うなだれつつ歩く白井を見て、

「固法先輩の心配も分かりますけどね。白井さんの始末書の数、他の人の何倍あると思っているんですか。結果が数として表れちゃってるんですから、神経質にもなりますよ」

 初春はちょうど良い機会とばかりに白井をたしなめる。その言い方は同級生である白井に言うというよりは、先輩が後輩に言うかのようだ。

 そんな同僚の態度が気に入らず、白井は初春の頭を両拳でロックすると、グリグリと力を込めた。

「あだだだだだ! し、白井さーん、痛いですよー!」

 突然襲ってきた痛みに初春は涙目になりながら悲鳴をあげるが、白井は容赦なく力を強める。

 笑顔を浮かべているせいか、周囲からは微笑ましいコミュニケーションのように見えてしまうが、白井の目は笑っていない。

「うーいーはーるー? 調子に乗るんじゃないんですのよー? それにわたくしの始末書の数はそれだけ事件を解決した証ですのよー」

「い、いたっ! ああっ! それ痛いですって、ホント! ギブ、ギブアップですー!!」

 痛みに我慢できず、初春が音をあげたので、白井はやっと拳を止めた。

 白井はやれやれと言わんばかりに息をつき、

「分かれば良いんですの。――さて、こんな事で時間を潰している訳にはいきませんし、さっさとパトロールを再開しないと」

「時間を潰してるのは白井さんじゃないですかー……」

 左右のこめかみを押さえながら、不満を漏らす初春だったが、白井がさっきの笑顔を浮かべつつ、拳を握りながら振り向いたのを見て、

「な、何でもありませーん」

 と、とっさに誤魔化した。

 白井はそんな初春に疑惑の目線を向けていたが、ここで問いただしても繰り返しになるだけと悟り、前へと向き直って歩き出す。

 そして、周囲を今一度ぐるりと見渡してみる。

「――それにしても、こうやってパトロールを始めたのは良いとして、平和そのものですわねぇ……」

 目の届く範囲だけではあるが、街の様子に変わった様子はない。

 数は多くないが、車道は車やバスが行き交い、歩道も放課後で遊びに出てきた学生達や走り回る清掃ロボットが賑わいを作っている。

 顔を上げて空を見てみるが、側面にニュースなどを表示する飛行船にも、取り立てて緊急性のある話題は踊っていない。

「良いじゃないですか、それで。本当は私達に仕事がない方が良いんですから」

「とは言っても、例の事件を解決しないと、このパトロールシフトは変わらないですの。正直解決できるものなら、さっさと終わらせたいですの」

「確かに今のシフトだと遊びにも行けないですしねぇ……。あぁ、また『学舎の園』に遊びに行きたいなぁ……」

 初春は喋りながら、以前行った『学舎の園』に思いを馳せる。

『学舎の園』は第七学区の南西端にある常盤台中学などお嬢様学校を中心に形成されたエリアだ。学園都市は基本的に近代的なビルの街並みだが、『学舎の園』だけは特別で、石畳の道に洋風の外観の建物が立ち並び、まるで外国にいるような錯覚を味わえる。

 それだけに『学舎の園』は、お嬢様という存在に憧れている初春にとって理想郷とも言える場所なのだ。

 そんな初春のささやかな願いを聞いた白井は、振り向いて初春に向き直ると、

「初春! 何でしたら、また招待してあげますの! でもそのためには事件の早期解決が必要! という事で第一〇学区調査を――」

「それはダメです」

 まくし立てて初春を上手く誘導しようとした白井だったが、その言葉は真顔の初春に、即座に否定された。

 初春もだてに白井とコンビを組んでいないという事だ。

「くっ、欲望に訴える作戦も通用しませんの……」

 思惑通りに進まず、悔しがる白井だったが、すでに次はどういう手を取ろうか考えているようだった。

 腕を組みつつ先を行く白井を、初春は苦笑しながら追いかける。

 そうこうしながら、ある程度進んだところで、

「――――ぐわっ!」

 突如、悲鳴が聞こえた。

 思わず白井と初春は顔を見合わせる。

「初春、今の聞こえましたの?」

「はい! 多分そこの路地です!」

 初春が車道向こうにある横道を指差すと、白井はすぐに駆けだした。

「あっ! ちょっと、白井さん!」

 その制止の声は時すでに遅く、白井の姿は初春の隣になかった。

 白井は車の行き交う車道をいつの間にか渡り終え、向こうの歩道に移動していた。

「そ、それがダメって、固法先輩に言われたんじゃないですかー!」

 初春の抗議の声は、横道に入ってしまった白井には届かない。

 仕方なく後を追おうと車道を渡ろうとする初春だったが、車がタイミング悪く走ってくるせいで渡るに渡れない。

「あー、もう! 白井さーんっ!!」

 歩道の端で地団駄を踏みながら、初春は思わず叫ぶのだった。

     3

「風紀委員ですの! 全員動くのを止めなさい!」

 張り上げられた白井の声が、路地に響き渡った。

 右袖に着けた風紀委員の腕章を左手で引っ張り、風紀委員であることを誇示する。

(これで一瞬でも全員の動きが止まるはず。その隙に頭と思われる人間を特定すれば――)

 そんな白井の思惑は、一人の男によって無残に打ち砕かれた。

 路地の一番奥にいた男が、白井など眼中にない様子で拳を振りかぶり、動きが止まっていた不良の一人を容赦なく殴ったのだ。

「ちょ、ちょっと! 止まりなさいって言ってんですのっ!」

 動揺しつつも再度声をかけるが、その男に止まる気配はない。それどころか、また一人殴り飛ばした。

 風紀委員の介入に怯んでしまったとはいえ、相手の不良達もこのまま殴られるだけの的ではいられない。当然、意識を白井から殴りかかってくる男へと戻した事で、路地の喧騒が元に戻ってしまった。

「し、白井さん、だから勝手に動かないで下さ――――ひっ!」

 やっと車道を渡りきりやって来た初春は、息を切らしながら白井に声をかけた。だが、白井がただならぬ怒りを発しているのを感じとってしまい、思わず背筋がピンと張るとともに、短く悲鳴を上げてしまった。

「……ふ、ふふふふふ、わたくしの制止を無視するとは良い度胸ですの……! 向こうがその気なら、こちらも実力行使しかないですの……!」

 そう呟いた瞬間、白井の姿は初春の眼前から消え、乱闘の外側にいた不良の背後にその姿を現した。そして、白井がその手を不良の体に添えると、不良は宙に投げ飛ばされていた。

「―――――へっ?」

 何が起こったかも分からないまま空中にいた不良は、受け身もできず地面に叩きつけられ、そのまま昏倒した。

 まるで白井が倍近くの体重差があるような相手を軽々と投げ飛ばしたように見えるが、これにはカラクリがある。それは先ほど白井が車道を気兼ねなく渡り終えていたのと関連がある。

 白井黒子の能力は『空間移動』という。

 当然空間移動能力であり、一般的に空間移動でイメージされる、自身や物体を遠距離に移動させるといった事が可能だ。しかも大能力であり、自身の移動だけでなく、限界値の範囲内であれば、複数のものを移動させる事も可能だ。

 彼女はこの能力を使って、車道を無視して向かいの歩道に移動したり、不良の体を空中に空間移動させ投げ飛ばしたりしたのだ。

 そして白井は、今また不良の一人を空間移動で投げ飛ばした。

 不良達プラス白井の乱闘は、完全に乱戦模様となっていた。

 その中心となっているのは、制止を聞かず殴りかかった男と、後から入ってきた白井だった。

 男は不良達の攻撃を間一髪でかわしながら、カウンターで拳や蹴りを叩きこんでいる。その回避があまりにもギリギリのタイミングなせいで、筋書き通りに役者が動き回るドラマの殺陣を見ているかのようだ。

 一方白井はというと、こんな小さい女の子相手であれば、と迫ってくる不良達を空間移動で翻弄していた。時折太ももにつけたホルスターの鉄針に手を添えると、空間移動を使って不良の服へと直に差し込み、動きを拘束する。

 それに能力を使わずとも、彼女は風紀委員としての訓練を受けた人間だ。学校内の治安を守るのが主要な存在意義ではあるが、それでも格闘術などは一通り習得しなければならない。ただ殴りかかるだけの不良と、訓練を受けたプロフェッショナルかつ能力者では比較にならない。

 そして、白井がまた一人を投げ飛ばした瞬間、彼女の目の前に拳が飛んできた。

「白井さん、後ろっ!」

 離れたところから見ていた初春が警告を飛ばす。

 虚を突かれた格好とはいえ、白井は空間移動で数メートル後ろに移動して、何とか拳をかわした。

 周囲を見渡してみると、あれだけいた不良達は全員が駆逐されていた。

 半数は白井がやったものだが、残り半数は一人残った男、先ほど制止を振り切って動いた彼がやったのだろう。

 あの人数差だったにも関わらず、彼は累々と積みあがった不良達を前にして、悠然と佇んでいる。しかもその顔には疲れの色というものが見えない。

 一方の白井はというと、いつもの余裕の表情を浮かべてはいるが、さっきのパンチのせいで若干顔が引きつっていた。

(あれを避けられたのは、運が良かったですわね……。もうちょっとだけタイミングがずれたり、集中力が切れてたら当たってましたわ……)

 そんな思いを相手に悟られないようにしながら、白井は今一度、相手の姿をよく確認する。

 歳は高校生ぐらいに見える。背は一七五センチほど、体格は筋肉がそれなりについているようで、ガッシリしている。顔立ちは悪くはないようだが、目の下にうっすらとではあるが、クマがあるように見える。加えて目つきが鋭いせいか、常時イライラしているように見えてしまう。まぁ、イライラしているのは、今の状況のせいかも知れないが。

 服装から身元を判別できないかと思って見てみるが、まだ若干暑さが残っているにも関わらず、分厚そうな黒のジャケットを羽織っている。ズボンも黒の長ズボンで、まるで肌を外気に晒したくないかのようだ。

(これと言って特定できるものはなし……。こうなると、話をして糸口を掴むしかありませんわね……)

「風紀委員に手を上げるのは問題ですのよ」

 白井の言葉に、少年はあからさまに嫌悪の眼差しを白井へと向けてきた。下手な人間ならこれだけでビビってしまうだろう。

「風紀委員? 最近の風紀委員は不良の喧嘩に介入するのか?」

「つまらない喧嘩なら放っておきますわ。……でも、ここ最近一般人に危害を加えている輩がいるとなれば、さすがに見過ごす訳にもいきませんの」

 それを聞いて男の眉が微かにだが動いた。これだけで事情を知っているのが丸分かりだ。

 男は目の前に転がってる不良達を指差し、

「一般人に手を出してたのはこいつらや他の不良連中だ。俺は何もやっちゃいない」

(……まぁ、状況を見る限りそれっぽいですわね。不良グループを相手にするような人間が、わざわざ一般人に手を出すとは思えませんし。とは言っても、一連の騒動について知っているのは確実っぽいですの)

「その辺りの事情を知るためにも、貴方には御同行願いたいのですけれど、いかがです?」

「断る」

「即答ですわね……」

 迷いのない答えに、白井は頭を抱える。

 ここで彼を捕縛するのは自分の能力を考えれば十分に可能だろう。とは言っても、彼は不良達に比べればまだ話が通じるようなので、できれば無駄な争いは避けたい。

「わたくしだって、貴方が一般人に危害を加えている人間とは思ってないですの。でも、事件解決のためにお力を――」

「そういうのがめんどくさいって言ってんだ。俺にはやる事がある。もう行くぞ」

 痺れを切らしたのか、男はその場を去ろうとする。

 だが、せっかくの手がかりを逃がす訳にもいかない。

 踵を返して路地の奥に消えようとしたところを、白井は空間移動で彼の前に出ることで封じた。

 男は突如眼前に現れた白井に一瞬驚いていたが、すぐに眉を吊り上らせ、敵意丸出しの視線を白井に向けてくる。

「――どけよ、空間移動能力者」

「そうも参りません。情報を得るのは当然として、貴方がなぜ彼らと乱闘をしていたのか、聞きたくなってきましたの」

 男に負けじと、白井も睨みを利かせた視線を返す。

 路地の入口の方で、初春が不安そうな表情でこちらを見ているが、今は放っておく。どのみち体を動かす仕事は自分の方が手馴れている。安全な場所にいてもらった方が良い。

「あぁ、もう、めんどくせぇよな、ホント……」

 そう言いながら、男は視線を白井から外した。

 やっと折れたかと思った白井だったが、次に男が向けてきた視線に、その考えをすぐに脳裏からかき消した。

「イライラさせんじゃねぇぞ……!」

 刹那、男の拳が飛んできた。

 視線から攻撃してくると本能で悟った白井は、また後方に空間移動する事で攻撃をかわす。

 しかし、男はその回避を読んでいたかのように、足を踏み出し、再出現ポイントへと向かってきた。

 また男の拳が振りかぶられる。しかも移動分の力も加えられている。体重の軽い白井があれを受けてしまうと、ダメージは小さくないだろう。

(短距離では次も攻撃に移られるかも知れませんの。と言って、さらに後ろに長距離跳ぶのは向こうの通りに出てしまいますの。それらに合わせて、次、攻撃に転じる事を考えれば――!)

 白井は次の出現ポイントを目線で確認し、今度は男の背後へと跳んだ。

 すでに相手は攻撃動作に入っている。しかも勢いをつけた動きだ。そんな人間の後方に回り込んでしまえば、まともに対応など取れないだろう。そこに空間移動で投げ飛ばし、鉄針を用いて自由を奪ってしまえば簡単に決着だ。

 そう確信した白井は出現とともに、相手の体に触れようとして、あり得ない動きを見た。

 男は、殴る動作を止めて、こちらに振り向いていたのだ。

「―――――ッ!!」

 すぐに白井は次の動きを回避に変更する。

 こちらは完全に虚を突かれていて、あちらはすでに攻撃態勢だ。全力で避けるしかない。

 だが、瞬間的に計算できたのは、後方に短距離跳ぶ事だけだった。

 それは最初の状況に戻る事を意味していた。

 男は白井の空間移動に合わせて、またもや白井が跳んだ位置へと移動してきたのだ。

(ど、どーいう事ですのっ!? なぜわたくしの空間移動についてこれるんですの!? 身体能力という意味でも不可解ですし、それに何より移動先を読まれているとしか――)

 白井は次の一手に迷った。

 相手の後ろに飛ぶのは先ほどやった。

 さっきと違って後方に長距離跳ぶのはまだいける――が、そこには初春がいる。彼女を危険に巻き込めない。

(そうなると、最後に残されたのは――!)

 白井はちらりとその一点を見て、空間移動を行った。

 移動が完了すると、一瞬重力から解放された感覚を得る。そして、またすぐに重力という枷が戻ってくる。

 白井が次の転移先に選んだのは――空中。

 人間にとって頭上というのは、完全なる死角だ。

 首を捻ればそちらに視線を向ける事はできるが、それでも人が上から降ってくるという考えには、通常の思考では至れない。能力者相手に戦った事があれば、多少なりとも特殊な思考になるのかもしれないが、そのような人間は多くないはずだ。特に数が少ない空間移動能力者の相手をした事がある人間はまさに一握りだろう。

 それゆえに、この空間移動は必殺。

 対応する前に相手の顔面にキックを食らわせ、上手くいけば一発KO、いかなくてもイニシアチブは取れるはず。

 ――――だったのだが。

「そ、そんな……っ!」

 白井は思わず驚愕の声を上げる。

 相手の男はすでに上を、こちらを向いていた。

 構えは取られており、迎撃態勢は整えられている。

 もう一度空間移動をすれば良かったのだが、驚愕に次ぐ驚愕に、白井の意識は冷静に計算を行う事ができなかった。

 重力のままに、白井は男に向かって落下する。

 そして、キックのために伸ばしていた足をがっしりとロックされ、思いっきり振り回された。空中で抗える訳もなく、あまりにも軽い白井の体は、路地横のビル壁に叩きつけられた。

「うぐっ!」

 背中からコンクリートにぶつけられ、あまりの痛みにくぐもった声を上げる。

「ししし白井さんっ!?」

 呆気に取られながら二人の戦いを見ていた初春だったが、白井が壁に激突したのを見て、思わず叫び声を上げる。そして、白井の下に駆け寄ろうとしたのだが、

「来るんじゃありませんの!」

 白井は大声を上げて初春の動きを止めた。

 痛みを堪えながら、彼女はゆっくりと立ち上がる。

 ズキズキと背中には痛みが走っている。それでもなお、倒れてなどいられない。仕事として見過ごせないのもあるが、

(コケにされたままでは終われませんの……!)

 そう思う白井の目にはまだ戦う意思が満ち満ちていた。

 そんな白井の様子を、男は追い討ちをかける事もなく、黙って見ていた。

(……追い討ちなんてしなくても余裕という事ですの? まったく厄介な相手ですわね……)

 しっかりと両足で立ち、体の調子を確かめる。

 背中は痛むが、動けない事はない。身体の他の部分には怪我もない。

 さっきは意表を突かれ過ぎて集中が乱れる事が多かったが、一通りの相手のやり口は理解できた。

 ここで一度相手の情報を整理し直すべきだろう。

(身体能力はかなり高いようですわね。おそらく何かを使って強化してるのでしょうけど、これは特に問題ではありませんわ。真に問題なのは、さっきからわたくしの空間移動が完全に読まれている事ですの……!)

 一回であれば偶然だと思っただろう。

 だが、四回だ。

 空間移動は限界距離の範囲内である限りどこにでも移動できる。それにも関わらず四回も連続でこちらの動きを予測するなど、常識的に考えれば不可能だ。

 常識的に考えれば、だ。

 この街は学園都市であり、学生達は各々超能力を持っている。

 それゆえに、『外』の常識は通用しない。

 そして、学園都市の常識をある程度理解している彼女は、二つの予想に至る。

(あんな芸当が可能であるといえば、『読心能力』か『予知能力』ですの!)

『読心能力』も『予知能力』も、その名の通りの能力だ。

『読心能力』は人の心を読んだり、物から残留思念や行動を読み取ったりする事ができ、『予知能力』は未来を予知する事ができる。

 どちらの能力でも相手の動きを先読みする事ができる。

 そう考えれば、これまで空間移動が読まれ続けた事にも納得がいく。

 しかし、そこで白井はまた新たな問題にぶち当たった。

(――って! どちらにせよ、空間移動が封じられてるじゃないですのー!)

 そう、白井得意の戦法が完全に使えなくなったのだ。

 金属矢を使おうとも、自分自身が相手に近づこうとも、その前の段階で読まれてしまっていては、相手はそれに対して対処してくる。そうなってしまうと、ひたすら戦い続けて、どこかで相手がミスするのを待たないといけない。

 鍛えてはいるので、同年代の少女よりは体力に自信がある白井だが、それでも鍛えてるらしき男子高校生が相手では、確実にこちらが先に参ってしまう。

(八方塞がり……ですの……?)

 名案が浮かばず、白井は次の動きが取れない。

 相手の男は、白井の動きを待っているのか、白井を睨んだまま動く気配がない。

 そして初春は離れたところで、オロオロとしながら二人の睨み合いを見守るしかできない。

 膠着したまま、ただ時間が過ぎ去っていくのかと思われたその時。

 静寂を破り、閃光が路地を奔った――。

     4

 路地にいた全員がそれに目を奪われた。

 青白い光はバチバチと音を立てて進み、男の足元へと命中した。当たった部分のアスファルトに焦げができ、煙とともに鼻をつく臭いが立ち昇る。

 乱入してきた異物に反応ができなかったのか、男は地面に命中してから、よろけるように一後ろに下がった。そして、誰がやったものか確かめるために、視線を白井から外して路地の入口へと向けた。

 完全に男には隙ができていたのだが、白井もまた路地の入口を見ていた。

 なぜなら、彼女は今の閃光が何であるか、誰が放ったものなのか瞬時に理解していたのだ。

 白井は路地の入口、初春の隣に立つその姿を見て、笑みと言葉を漏らす。

「まったく、何でこう都合良くいらっしゃいますかねぇ――」

 その人物は白井と同じく、半袖のブラウスの上にサマーセーター、灰色のプリーツスカートという服装。サマーセーターの胸元には、クローバーをモチーフにした盾形の校章が取り付けられている。まごうことなき常盤台中学の制服だ。

 常盤台中学の少女は、肩まである茶色の髪からパチパチと火花を散らしながら、男を見据える。

「――そこのアンタ。私の後輩相手に何してるのかしら?」

 若干苛立ちの混じった声で、少女は問いかける。

 対する男は新たな人物の登場に、どこか呆れたような表情を浮かべた。

「その言葉は俺がしたいぐらいだ。お前、誰だよ」

 今度は少女が呆れたような表情を浮かべる。こういう展開には飽きあきだといった風だ。

「常盤台中学の御坂美琴、と言えば分かってもらえる?」

 少女、御坂美琴の名前を聞いて、男は少しだけ表情を歪めた。

「第三位の超能力者『超電磁砲』か……」

「そっ、知っててもらえて光栄だわ」

 苦い表情を浮かべる男とは対照的に、美琴は余裕綽々な様子だ。

 それだけに彼女の能力は絶対的なのだ。

 学園都市でも七人しかいない最高強度を誇る超能力者。その第三位にして、発電系能力者のトップ。

 少しでも勉強した学園都市の学生であれば、誰もが知る存在。

 それが、御坂美琴という少女だ。

「ところで、私の自己紹介は済んだけど、アンタの事は聞かせてもらえるの?」

「………………」

 美琴の尋ねに、男は無言で返す。

 何があろうと自分の素性を明かすつもりはないようだ。それを悟った美琴は口端を少し上に上げる。

「――そうなると、ちょっと痛い目見てもらわないとダメ――かなっ!」

 美琴の髪に火花が走ったかと思うと、彼女から電撃が飛び出した。

 先ほど警告の意味で発せられたものと同じく青白い電撃は、今度はまっすぐに男へと向かう。

 致命傷に至る事はない威力だが、それでもスタンガン程度の威力に調整されている。当たれば気絶してしまうようなものだが、男はそれを――、

「えっ!?」

 避けた。

 驚いた美琴が間抜けな声を上げるほど、完璧に避けた。

 その動きは、ちょっと足をステップするだけでの小さいものだった。

 まさかこうも簡単に避けられると思わなかった美琴だったが、すぐに次の電撃を放った。今度は広範囲に渡り、しかも時間差で当たるようにしているので、少しの動きで避けられるものではない。

 だが、それをも、男は避けきった。

 さっきとは打って変わって、跳んだり転がったりとアクロバティックな動きになったが、それでも電撃が飛んでくる場所が分かっていないとできないような完璧なかわし方だ。

 そんな男の顔は白井相手よりは焦りの色が見えるが、それでもまだ涼しいものだった。

「あ、あれを全部避けるなんて……」

 御坂の後方に下がっていた初春も目を丸くする。

 体をかばいながら、壁にもたれて様子を見守っていた白井は、

(あの電撃を避けるなんて、やはり『読心能力』か『予知能力』の能力者としか思えませんの)

 冷静に男の動きを分析し、自分の予想の正しさを確認していた。

 そして、肝心の電撃を放った美琴はというと、

「――――わ、私の電撃をこうも避けるなんて――や、やるじゃない……っ!」

 言葉を震わせながら、どこか奇妙な笑みを浮かべていた。

 それは、避けられ続けた事による恐怖や不安からではなく、思う通りにいかない相手に見えた苛立ちによるものだ。しかも相手が涼しい顔で避けたというのが、彼女の癇にばっちりと触ってしまった。

 だから彼女は、自分の最強の一手を使う事にした。

 スカートのポケットから、ゲームセンターのメダルゲームに使われるコインを取り出した。

 それを見た男は、舌打ちを一つして、焦りの表情を浮かべ始めた。

「おいおい、それはさすがに洒落にならねぇぞ……」

 呟いてすぐに男は跳んだ。

 前や後ろ、横にではなく、上に。

 男はビルの壁に向かって跳んだかと思うと、そこからさらに壁を蹴って、向かいのビルの壁へと跳ぶ。それを繰り返して、ジグザグにビルの屋上へと移動していく。

 いきなり逃げの一手を打たれてしまい、呆気に取られた美琴だったが、コインを握りこむと、先ほどと同じく電撃を頭上に向かって放った。

 進行方向上に放たれたせいで、空間移動で男を追いかけようとしていた白井は諦めざるを得なかった。

 そして、電撃は男に目がけて奔ったのだが、男はこれまた壁を蹴るタイミングをずらす事によって器用に命中を避け、屋上へと逃げおおせた。

 屋上へと姿を消した男はこちらを覗き込む事もなく、そのままどこかへ行ってしまったようだ。遠くからコンクリートの床を踏み込む音が響いてくる。

 残された三人は、もはや呆気に取られるのを通り越して、ただ立ち尽くすしかなかった。

 一人ずつだったとはいえ、超能力者と大能力者二人を相手に立ち回り、まんまと逃げられるなど誰が想像できただろう。

 誰一人も動けなかったなか、一番遠く離れていた初春は一番早く我に返ると、すぐに白井の下へと駆け寄った。

「し、白井さんっ、大丈夫ですか!?」

「初春、あまり揺さぶらないで欲しいですの……」

揺さぶりながら様子を確かめる初春に、白井は止めるように頼む。我慢していたとはいえ、背中を打ちつけた痛みがぶり返していた。

「あっ、ごめんなさい。でも戻って治療した方が良さそうですね……」

 言われて初春は離れたが、その顔には心配の色がありありと浮かべている。

 そんな初春の様子を見た白井は、笑みを浮かべると、

「この程度なら大丈夫ですの。これぐらい湿布でも貼ればすぐに治りますわ。問題はそれよりも――」

 言いつつ、白井は視線を初春から美琴へとずらした。

 美琴はというと、男が消え去った屋上をじっと見ながら、ぽかんとしていた。

 その様子に不安を覚えた白井はひとまず声をかける。

「助けていただいてありがとうございます、お姉様。ところでさっきのはあまりお気になさらない方が――」

「や、やるじゃない……。まさかアイツ以外にこんな勝ち逃げみたいな事する奴がいるなんてね……! ふ、ふへへへへへへっ!」

 美琴をいたわる白井の言葉は、当の彼女には届いていなかった。

 彼女はまんまと逃げおおせた男に対抗心を燃やし、気味の悪い笑みを浮かべ続けるのだった。

 そんな超能力者の姿を、白井は呆れながら、初春は言葉を失いながら、見守っていた――。



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