桜火はなび




「花見にでも行かねえか?」

「――は?」

 オレの提案に、隣に座っている親友は、呆気に取られたと言わんばかりの表情をこちらに向けた。

「……何だよ。その驚きに満ち溢れた表情は」

 非難めいたオレの視線に気付いたのか、慌てて、

「気を悪くしないでくれ。まさかキミが花を愛でる風流な人間だと思っていなかったからね」

「それは謝るというより、余計に馬鹿にしてないか?」

「キミが怒るのはわからないでもないが、しかし、そう思われても仕方ないだろう? 何たってキミは――」

「あー、うるせえうるせえ。昔の話はいいんだよ。言っとくがな、オレも平凡な日本人だ。日本人なら春は花見! これは当然の思考だろ」

「ふふ、そうだね。確かに日本人なら仕方ない。まあ、欧米人からすると、桜が咲いたからと毎年毎年馬鹿騒ぎする日本人は、不思議な人種にしか見えないみたいだけどね。さながら、花畑で遊んでいるいたずら妖精にでも思えるのかな?」

 親友は口元に手を当てながら、笑みを漏らす。傍から見れば、嫌味っぽい仕草にしか見えないが、オレは全くそんな思いを抱かなかった。だからこそ、コイツと今でも付き合っていけているのだろう。

「――さて、提案は快く受け入れるけど、詳細は決めているかい?」

「あー、正直ちゃんとは決めてねえ。この辺だとやっぱ河川敷の桜並木が1番じゃねえか?」

「あそこか。確かに一番桜が壮観なのはあそこだね。数が多ければいいという考えは嫌いだけど、あれだけは別物だと思うよ」

「うし。じゃあ場所は決定だ。日はそうだな。ニュースだと1週間後ぐらいが見頃とか言ってたぞ」

「一週間か。今ちょっと立て込んでいるから、それぐらいならちょうどいい」

「そうか。じゃあ、1週間後な」

「うん。一週間後に――」

 突然ながらも、トントン拍子で予定は決まった。

 その事に、お互い満足そうな表情を相手に向けていた。その時は――。




     ●




 1週間後。

 オレ達の姿は、病院の個室にあった。

 オレはベッドの脇に置かれた椅子に座り、親友はというと、ベッドに体を預け、力ない笑みをこちらに向けていた。

「……ごめんよ、約束守れなくて……」

「気にすんな。今は体治す事だけ考えろ。1か月もすれば治るんだろ」

「1か月――1か月かあ……」

 まるで生気が抜けていくような声で親友は呟く。その様子に、いつも飄々としていて、余裕たっぷりで小憎たらしい面影はない。まるで性格が全て反転してしまったかのように、弱りきっていた。

 いくら異常気象で長持ちしたとしても、1か月も桜が持つ訳がない。そんな事はオレでも分りきっているのだから、コイツには当然分かってしまっているだろう。こんな時、こいつが想像を絶するほどの馬鹿なら良かったのにと思う……。

「――しかし、ボクは人生の恐ろしさを改めて痛感したよ。幸せを手に入れたと思った途端にこれだ。人生では良い事と悪い事がバランスよく起きる、という説があるけれど、至極納得できたね……」

「なら、悪い事は十二分にあったから、今後は良い事しかないはずだ」

 口調はいつもの通りに戻ったが、言ってる内容は重た過ぎる。どんな深刻な話でも軽く感じさせる、下手すればむかつきをも覚えるような、いつもの能天気振りはどこへ行ったのか。

 それが急に怖くなって、オレは即座にコイツの言葉を否定した。

 だが、目の前のコイツは、またも力無い笑みをオレに向け、

「いや、ボクの場合はね、良い事と悪い事のバランスは1対1じゃないんだよ。多分1対10――1対20――それとも、もっともっとかな? まあ、そんな気しかしないんだよ」

 その言葉に、オレは黙り込んでしまった。人間、マイナス思考の時ほど負のスパイラルに陥るもんだ。そしてコイツは、確実にそのスパイラルに飲み込まれてる。もはや足掻く事も諦めて、ただ死を待つかのように――。

「ああ、すまないね。暗い話をし過ぎてしまった。――そうだ。ボクの代わりに河川敷の桜を見てきてくれないか? 見には行けなくても、君の感想を聞けば、気も紛れるだろうさ」

『来年一緒に見に行けばいいだろ』

 その一言を言えばよかったのかも知れない。

 だがオレは、

「――ああ。見てきてやるよ」

 何故か、この言葉が出てしまった。

 気の利いた言葉も言えず、ただ頼みを聞き入れただけ。

 後悔はあったが、……でも、目の前のコイツが微笑んでくれたから、別にいいか、とも思ってしまった……。




     ●




 病院を後にして、オレは河川敷にやって来ていた。

 本当なら、アイツと一緒に来るはずだった場所。

 そこにオレ1人というのは、空しさしか感じない。

 正直、来たくはなかった。

 だが、アイツとの約束なのだ。破る事は許されない。

 とは言っても、満開の桜並木を見ようとする人ひとヒトでごった返す河川敷は、鬱陶しさと、何より憂鬱な気分をさらに増幅させる効果しかなかった。

 はしゃぎ回る子供を連れた団欒家族。

 高そうなごついカメラを手に、ベストショットを狙うおっさん。

 そして、腕を組んで楽しそうに桜を見て回るカップル。

 ――ああ、何もかも忌々しい。皆滅びてしまえばいいのに……。

 そうだ。特にここの桜がなくなってしまえばいいんだ。そうすれば、ここに来る人間は格段に減ってしまうはずだ。



 ……少し冷静になってみた。

 何馬鹿な事を考えてるのか……。

 こんな事では、またアイツに笑われてしまう。猛省しなければ……。

 気を紛らわすために、桜から目を離す。

 目線を動かした先に、掲示板に貼られた1枚のポスターを見つけた。

 そこに写る写真と、横に書かれた文字に、

「……今頃からかよ。気がはえぇなあ……」

 と、俺は言葉を漏らし、――そして、一つの考えが浮かんだのだった。




     ●




 約束の日から1か月後。

 無事に退院した親友を車椅子に乗せ、オレは車椅子を押しながら河川敷を歩いていた。

 もう晩飯時も過ぎた時間で、人の姿は少ない。1か月前のごった返していた様子が嘘のようだ。

 河川敷の桜の花は既に散ってしまい、枝には緑の葉っぱが大量に茂ってしまっている。花の時はそこはかとなく儚さを感じさせていたのに、今では木の生命力をこれでもかと見せびらかしているかのようで、親友の今の状態と、正反対だった。

 入院してからというもの、コイツの精神状態が上向いた事はない。オレに対していつも申し訳なさそうにするのだ。

『桜を一緒に見に行けなかったせいか? それなら気にするな』と今一度、というよりは何度も言ったりしたのだが、コイツは暗い表情を変える事はなく、『そうじゃないさ……』と言い続けた。

 ……どう考えても、気にしてます。

 コイツがああいう顔で受け答えした時は、逆に言葉を取ればいい。それは長年の付き合いで理解した事だ。

 コイツは桜を見に行けなかった事を引きずってる。

 その罪悪感が、今までに引き起こし、体験した出来事に結びついてしまい、気分が沈んだままなのだ。

 だからこそオレは、桜を一緒に見れなかったという悩みを解決してやらなければいけない。

 だが、桜並木の桜は既に散ってしまっている。

 改めて目の当たりにして、コイツはまた気を落としているようだが、オレの仕掛けはこれじゃない。



 ――コイツには、もっとスゲェ桜を見せてやる。

今、オレ達しか楽しめない、特別な桜を――。



「――っと。よし、ここでいいかな」

 車椅子を河川敷の平らで、ちょっと広めのスペースに止める。人通りもないし、ここなら大丈夫だろう。

「……何をする気だい?」

 俺が得心していると、親友はこちらに振り向いて尋ねて来た。その顔には怪訝そのものだったが、それにオレは笑って答え、

「待ってろ。すぐに『桜』を見せてやる」

「……何を言っているんだい。さっき見た通り、桜の花は綺麗に散ってしまっていたじゃないか。ボクをからかうつもりかい?」

「からかうだけでわざわざこんなとこ連れてくるかよ。ここで大人しくしてろよ。オレは準備――というか、仕上げをしないといけないからな」

 言って、オレは河川敷を駆け降りた。後ろから「ちょっと待て――」と言葉が聞こえたが、放っといてオレは、仕掛けの場所へとやって来た。

 四方八方手を尽くし手に入れてきた例の物は、さっき準備したまま変化なく鎮座していた。

 オレは今一度周囲を確認し、手元からライターを取りだすと、物の先から延びる紐に火をつけた。そして、すぐにその場を離れ、坂を駆け上がって親友の元へと戻った。

「……全く。一体何をする気なんだ、キミは?」

「黙って見てろって。もうすぐだからよ」

 幾分不満そうな顔だったが、オレに習って、親友も空を見る。

 オレからすると、長い時間だった。

 本当に上手くできたのか? 途中で火が消えたりしていないか? 実は湿気たりしていないか? などと不安がどんどんよぎる。

 だが、そんな不安を一瞬で吹っ飛ばすように、パン! という甲高い音が響いた。

 そして、ヒュルルルル、と、口笛のような音が続き、ドン! と空に光が弾ける。



 空に、ピンクの花が一輪咲いた――。



 一輪だけで、しかも形は桜ではなく菊とかそういう種類だ。

 桜との共通点など、色だけしかない。

 それでもオレは、この季節外れの花火に託した。

 どこまで理解してもらえるか分からない。

 コイツの事だ。一笑に付されるかも知れない。

 それでも――それでも、オレはこれを打ち上げたかった。これを一緒に見ようと思った。

 その気持ちは、コイツに届いたのだろうか……?

 恐るおそる、オレは横にいる親友に目を向けてみる。

 親友はというと、もはや形を保てず、川へと落下する火花を見つめていた。まるで見惚れるように――。

 そして、ゆっくりと唇が動いたかと思うと、ただ一言。

「――ありがとう」

 うっすらと目元に涙を浮かべながら、親友は言った。

 まさか、コイツが泣いているのを見る事になるとは思わず、オレは少し焦ってしまった。

 オレの気持ちが理解されたのも嬉しかったが、慣れないものを見てしまった事の方が大きくて、オレが混乱へと陥ってしまう。

「――おうっ! そう言ってもらえると、オレも用意した甲斐がある!」

 結局照れくさくなったオレは、誤魔化すように大声で返した。

 それを見て、久しぶりに親友は笑っていた。前ほどの快活さはないが、それでも心の底から喜んでくれている、それが分かる笑みだった。

 そして、月しか見えない空を眺めながら、オレ達は余韻に浸り――と思ったのだが、オレはすぐに車椅子のハンドルをつかんだ。

「どっ、どうしたんだっ、突然!?」

 驚いて目を丸くする親友だったが、オレは気にせず車椅子の向きを変え、車椅子を押しながら猛スピードで駆け出す。

「おいっ、話を聞けっ! 人が良い気分になっていたというのに、突然何だっ! 台無しじゃないか!」

 振り落とされないよう必死で車椅子の肘掛けをつかみながら、親友は抗議の声を発してきた。

 しかしオレは気にせず猛スピードで走りながら、1つの事実を告げる。



「賢い頭で考えれば分かるだろ! ここでの花火は禁止されてるんだよ!」



 オレのカミングアウトに呆気に取られていた親友だったが、すぐに破顔し、

「あははははっ! それは大変だな! さすがに捕まっては大変だ。車椅子で手間だろうが、ボクを捨てずに逃げてくれよ!」

「言われなくてもそうしてるだろっ! あー、くそ! 何かサイレンの音が聞こえてきたー!」



 サイレンの音が遠くから聞こえて来る中、オレは親友の車椅子を押しながら走り続けた。

 その最中、親友はただひたすら、心底楽しそうに笑い続けていた――。




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