過ぎ去り場所の待ち人
● とある日の夜半。 直近の懸案事項だったアルマダ海戦を終えた英国は、残務整理はあったものの、ひとまず平穏を取り戻していた。 しかし日の落ちた時間になっても、英国の中心であるオクスフォード教導院には人の動きがあった。英国の繁栄の為に、学生達がそれぞれに割り振られた仕事をこんな時間になっても行っているのだ。 それは、彼、彼女らのトップである総長兼生徒会長、妖精女王エリザベスも同様で、彼女もまた己の仕事をこなしていた――、先ほどまでは。 さすがに働き詰めで疲れた彼女は今、気分転換に教導院内をぶらりと散歩している。まるで城のような外観のオクスフォード教導院は敷地が広く景色も様々で、多少散歩するだけでも気分転換には持ってこいだ。 そして、エリザベスが部屋の立ち並ぶ廊下に差しかかった所で、彼女は怪しい人物を見つけた。部屋のドアを少しだけ開けて、中をこっそりと覗きこんでいるというのは、どう見ても不審者にしか見えない。 ……スパイや暗殺者かも知れんし、普通なら即手打ちなんだがな……。 エリザベスが対応に悩んだのは、その不審者が身内だったからだ。 だからひとまず、 「――おい。そんな所で何をしている」 声をかけてみると、不審者はビクッと体をはねてから、ゆっくりとこちらに体を向けた。
白いタンクトップを着込み、細身ながらも鍛え上げられた黒肌の体はアスリートにしか見えないが、彼は文芸部部長のアスリート詩人であり、英国書記にして 彼はエリザベスに恭しく礼をしてから、口元に人差し指を当て、
「Ladyに対して 言うや否や、彼はまたのぞきを再開した。眼鏡の奥の瞳は真剣そのもので、さらによく見てみると、彼の足に仕込まれた活版式詠唱器はけたたましく動いており、今も何やら詩が作成されているようだ。
それを見た彼女は ・女 王:『黒肌眼鏡のストーカー発見。処刑しても良いか、諸兄ら?』
・御 毬:『ストーカーはいけないねえ。恋に熱を上げるのは良いけど、ストーカーはダメだってうちの子には言い聞かせてるし――、 ・副 長:『すすストーカーは女の敵よね。女王の判断でやっちゃっていいんじゃないかしら』 ・せしる:『じょおーへいかにおまかせー』 ・水泳男:『競泳で前を追いかけるのは何も間違っていないですが、現実的にストーカーはよくないです!』 ・琴人魚:『そういう話なのかしら……。まあよく殿方に追いかけ回される人魚族の一員としては――死刑でも良いかと思いますけど』 ・デス夫:『裁判は大法官のハットン君にお任せ――、デス! ストーカーはァ――死刑――、デス!』 ・印鑑子:『死っ刑! 死っ刑!』
・地味商:『 ・女 王:『諸兄ら、素の返事ばかりではなく、ギャグにも反応が欲しかったんだがな……』 ・薬詩人:『Ladyのギャグは高尚過ぎる。それでは拾える人間も限られてしまうよ。あとMatesはMeの事が嫌いなのか?』 書き込みを見たエリザベスは、嘆息しながらジョンソンへと近づく。 「実況通信に書き込む余裕があるなら、素直に答えればどうだ。何、今なら特赦として、マクデブルク送りで済ませてやろう」 「あそこは今三十年戦争の最前線じゃないか……。詩集の印刷に行くなら仕方ないが、罰として行くのはご遠慮したいね」 言いながら、ジョンソンは体をずらすと、ドアの隙間をエリザベスへと譲った。 恭しく頭を垂れる彼を見て、エリザベスは怪訝な表情を浮かべ、 「……見れば分かるという事か?」 「百聞は一見に如かずだよ、lady。心配しなくても、耽美的なものが行われているという事ではないよ。それ以上に私の創作意欲をかき立てるものが中にあるのさ」
「お前の言う耽美的行為を覗いていたとしたら、本当に 怒気を含めながらエリザベスが言うと、ジョンソンは苦笑を返事とした。 もう少し嫌みを言ってやろうかと思ったエリザベスだったが、部屋の中への好奇心を抑えられず、ジョンソンから顔を背けると、隙間から部屋を覗き込んだ。
そこにいたのは――、
一見大人しそうな少女だが、彼女は 「はあ……」 誰もいない部屋で、シェイクスピアは一人大きく溜息をついた。
目の前に表示されている幾つもの表示枠には 今また画面が更新されたが、それでも画面に変化はなかった。
彼女は表示枠の 「これでもう何通目かな……」 呟きながら表示枠を見てみると、送信済みの通神文はとっくに四桁に突入していた。それだけ送ってもなお、ネシンバラからの返事がないのだ。 ……これまではすぐに返してくれたのになあ。おかげで僕もすぐに返す為に必死になっちゃって、まるで競争みたいになっちゃったけど。 思いをそのまま通神文に書き、また送信する。 ……もしかして僕忘れられた? 僕みたいな地味オタクなんかじゃなく、黒髪黒翼のオタク魔女を選んだとか? 逸る気持ちを抑えながら、言葉をしっかりと選んで通神文を書き上げる。そこで送るか少し迷っていたが、とりあえず送信した。 ……って、まさかね。彼女にはまずパートナーがいるし――、でも逆にそれが良いとか言ってるとか!? 荒々しく鍵盤を叩いて文面を一気にした為ると、今度はすぐに送った。 そして、椅子の背もたれにどさっと体を預けると、天井を仰いだ。そこでハッと目を見開くと、 「――って、僕は一体何をしているんだ。こんな事をしているなら、もっと他にやる事があるじゃないか。それこそ次の舞台の準備もしないといけないし――」 そこでシェイクスピアは言葉を止めると、膝を抱え込んで顔をうずめた。 「でも、やっぱり返事がないと――」 言葉はそれ以上続けなかった。わざわざ口にする必要もないほどに、彼女の気持ちは変えようのないものだった。 ゆっくりと顔を上げ、表示枠に手を伸ばす。
だが、彼からの通神文はまだ来ていなかった――。 「恋文を書くも、相手から返事がない、という事でいいのか?」 「Tes.そして相手は武蔵の書記だろう。武蔵に乗り込んだ時から彼への執着は凄かったからね」 「なるほど。それで? お前は恋文に返事がなくてやきもきしている女の子を見て、悦に浸っている変態という訳か?」 エリザベスの言葉に、ジョンソンは額に手を当てて体を後ろに反らしながら、 「そういう事じゃないんだ、lady。恋に落ちた少女ほど美しく、インスピレーションを受けるものはない。ああやって一喜一憂している様を見るだけで、Meの創作意欲が湧きあがり、絶えず詩が出来上がるのさ!」 悩ましげな表情を浮かべて叫ぶジョンソンを、エリザベスは半目で見ていた。その顔には、こいつもうどうしようもないな、という考えが如実に現れていた。 そんなエリザベスの視線に気付かないのか、彼はまだ詩作を続けている。さすがに止めようかとも思った時、廊下の向こうからまた見知った姿がやってきた。 「――ん? 実況通神に書き込みがあったと思ったら、こんな所にいたのか。何、ストーカーを処刑するんじゃなかったのか?」
やって来たのは、 彼女が親指でジョンソンを指しながら尋ねると、エリザベスは少し溜息を入れてから、
「 「……さすがにここまで行くとやっちまっていいんじゃねえか?」
呆れ果てた顔でオマリが同意していると、そこにまたぞろぞろと 「あああああら? まだ処刑は行われていないのですか?」 「じょおーへいかはやさしー」 「処刑の前に懺悔の時間は大事――、デス!」
口ぐちに発せられる言葉で別次元にトリップしていたジョンソンも我に返り 「さすがにそれ以上言われるとMeも悲しくなるよ、Mates! Meがおかしいと言うのならば、Matesも中を見てみると良い!」
ジョンソンが皆を促すと、 「おやおや。アレは完璧に恋する乙女って感じだねえ。私にもあんな頃あったなあ……」 「これはこれは。また珍しい事が……」 「いいい良いわね。初々しくて」 感嘆の声が上がる中で一人、副会長であるセシルは浮かない表情だった。 出っ張った腹のせいで顔をドアに近づけられないのか、上手く中を見れていないようだ。 「むー……、よくみえないー……」 痺れを切らしたセシルはその巨体を前に押し出して、顔をさらに近づけようとする。しかしそのせいで彼女の前で見ていた人間が押される事になってしまい、ドアに向かって圧縮されてしまう。 「ちょちょちょっと! およしなさいな!」 「つーぶーれーるー!」
「こ、これはちょっと エリザベスまでもが抗議の声を上げるが、時既に遅し。
圧迫に堪え切れなくなったドアが勢いを逃がすように開き、 セシルの巨体に皆が押し潰されて唸っているが、突然の事態に動転してしまい、動きが取れない。 それどころか、さっきまでの一連の行動を見られていたという事を瞬時に悟ってしまい、シェイクスピアの頭は沸騰状態になっていた。いくら自分が劇作家で役者だったとしても。というより役者だからこそ、素の姿を見られたのはかなりのショックだった。
彼女が やっとこさセシルの体から抜け出したエリザベスが見たのは、 「リア王――、だと!?」
立ち上がった巨大な だからこそエリザベスは制止の言葉を投げかけようとしたのだが、それよりも先に、 「――見られてしまったのなら、記憶を飛ばしてしまえばいいんだ……!」 シェイクスピアの狂乱した言葉が響き、その言葉によってさらにリア王は巨大化する。
遂にオクスフォード教導院の一角をぶち破ったリア王は、創造主の言うまま、 ・約全員:『ひいいっ』 ……さすがに返さないとヤバいかな、これは……。 身の危険を感じながらも、ネシンバラはマクデブルク市長、ゲーリケとの交渉に意識を戻した。 それによってさらに、シェイスクピアから怒りやら心配やらが入り混じった通神文が大量に蓄積される事になるのだが、それはまた後の話――。
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