とある妖精の音楽隊ファミリア


序 章 雨中の契約 Earnest_Desire.




 東京西部に存在する完全独立教育機関、学園都市。

 広大な敷地を二三の学区に分けた中の一つ、第一〇学区は最も土地が安い学区である。

 学園都市唯一の墓地が存在し、少年院や実験動物の処分場がある事が安さの原因だが、その安さのせいか研究施設が多い。

 そのような場所なので、学区内に出入りする学生は元々少ない。基本的には大人達の場所であり、子供がいるとすれば、大人にも引けを取らない天才または秀才か、実験の被験者、はたまた少年院に用がある人間かである。

 現在、時刻は夕食時をとっくに過ぎ、それに加えて夕方から降り始めた雨が勢いを増し、今ではアスファルトを叩く雨粒の音が盛大に鳴り響いているほどで、そんな中を出歩く人間はそうそういない。

 ――はずなのだが、街灯の明かりを受けて、一つの影が浮かび上がった。

「ああ……、こんなに大雨なんてついてない……」

 あまりの大雨に愚痴ぐちを漏らしながら、人影はとぼとぼと道を進む。

 人影は透明のレインコートを着込んでいるものの、足元まではカバーできず、いている登山靴は色が変わるほどれてしまっている。

「『撥水はつすい機能付きで大雨でも大丈夫ですよ!』という言葉を信じたのに、まったく効果がないじゃないですかー……。あー、靴下がぐしょぐしょで気持ち悪い。どこか雨をしのげる場所はないですかねえ……」

 キョロキョロと周りを見渡すものの、周囲にあるのは自分の身長の何倍もある塀があるだけで、雨がしのげそうな軒下はありそうにない。

「色々見て回ろうとしたのが失敗でしたね。さっきまでは人がいっぱい歩いていたのに、ここは人っ子一人いないじゃないですか。わたし寂しくて死にますよ?」

 誰に言うでもなく呟いてからもう一度周囲を見渡すが、当然誰もいない。

「――まっ、いる訳ないですよね」

 大きくため息をついたその時、



「みゃー……」



 雨音とは違う音に、レインコートを着た人影はバッと振り向いた。かすかではあったが、確かに聞こえた。

 すぐに音が聞こえた方に向かう。

 音がした場所はすぐ近くだった。

 塀の下でずぶ濡れの体をさらしていたのは、一匹の白猫だった。

 屈んでよく見てみると、猫の首には首輪がついていた。首輪には数字しか印字されておらず、まともな情報は得られそうにない。

 しかし、毛並みの悪いやせ細った体を見るに、まともな飼い方をされていないという事だけはよく分かった。その事に、人影は苦々しげな表情を浮かべる。

 その顔を、猫がつぶらな瞳で覗き込んでいた。

 弱々しいが、それでも何かを訴えるような光が、その中にあった。

 それを感じ取ったレインコートの人物は、猫を真っ直ぐに見据みすえながらたずねる。 

「何か、わたしにして欲しい事があるの?」

 問いに、肯定の返事か、猫は短く鳴いた。

 それから、その体をくるりと後ろに回し、前足で塀を差した。

「塀――ではなく、その向こう。研究所に目的があるのね?」

 猫はもう一度短く鳴いて肯定を示す。

「科学の総本山、学園都市の研究所、か……」

 人影はこちらから窺う事のできない塀の向こうを想像してから、もう一度猫を見た。

 研究所。

 助けを求めるボロボロの猫。

 そのたった二つのキーワードで、人影は一つの考えに至った。

「わたしにしてもらいたい事はある程度分かったわ。ところで、それはあなたの望み? それともあなたの望み? どっちかしら。あなただけ?」

 そう尋ねると、猫は首を横に振った。

「じゃああなた達、なのね?」

 少し迷っていた感じだったが、しばらくして猫は力強くうなずいた。 

 それを見て人影は柔らかい笑みを浮かべると、手を差し伸べて猫を抱えあげた。

 抱えられて、怪訝そうな顔を向けてくる猫に、人影は告げる。

「――手を貸してあげましょう。あなた達が、自らその選択をしたのなら――」




 しばらくして、研究所の一角で爆発が起こった。

 夜の闇を切り裂くようにサーチライトが照らされ、雨音をかき消すような警報音が周囲に響き渡るのだった――。



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