とある少女と三角関係


序 章 はじまりは唐突に Flag.




 東京西部に存在する独立教育機関『学園都市』。

 東京都の三分の一に及ぶ敷地の他、神奈川や埼玉の一部をも飲み込む広大なこの街には、一八〇万人以上もの学生達が暮らし、日夜超能力の開発を受けている。

『外』に比べて数十年も技術が発展しているこの街には独立自治が認められており、外の警察に代わる二つの治安組織を独自に保有している。

 一つは教師が主体となり、能力者にも対抗できる装備を持つ『警備員アンチスキル』。

 もう一つは学生が主体で、基本的に学校内の治安維持を行う『風紀委員ジヤツジメント』。

 これら二つの治安組織を持ち、最先端の科学を誇る学園都市ではあるが、外の警察が事件に対して後手に回るのと同様に、警備員や風紀委員もまた事件が起こってから動く事が多い。

 いくら宇宙から人工衛星が数基も目を光らせているとしても、広大な土地と莫大な人口を前にしては、全てをカバーする事は無理な話なのだ。

 そして今日も、学園都市のあちこちでトラブルは起こっている。

 それらは人が集まる所――例えば学生が最も多い、第七学区の路上などで――。




「あ、あの……私、これから仕事があるんですけど……」

 シャッターが下りた商店の前で声が上がる。

 その声は小さいものの、言葉には拒絶の意志がにじみ出ていた。

 しかし、声の主の前に立ち塞がる不良然とした男達は、それを気に留める事もなく、下心のもった笑みを向けながら口を開く。

「そんな釣れない事言わないでよー。せっかく誘ってるんじゃん? 仕事なんかほっぽり出してさ、遊びに行こうよー」

「そうよそうよ。いつもお仕事大変でしょー? 時にはパーっとさ、遊んだ方がいいよー?」

「メイドさん萌えー!」

 口々に発せられる言葉に、彼らの真ん中にいる人影は困惑の表情をさらに濃くする。

 セミロングの黒髪にレースの付いたカチューシャ。黒のロングスカートのワンピースに純白のエプロンドレスという、正統派ヴィクトリアンメイドの出で立ちのその人物は、キョロキョロと周りを見渡す。

 しかし、不良達にからまれているメイド、という構図を見ても、周囲を行き交う人々は何事もないように通り過ぎて行くばかりで、助け舟を出すという雰囲気はない。風紀委員や警備員が通りがかってくれればいいのだが、近くに彼らの面影はなく、通行人達が通報してくれる様子さえもなかった。

 しつこく絡んでくる不良達の言葉を聞き流しながら、メイドは内心で大きく溜息をつく。

 これでナンパされるのは何度目だろう。そして、誰も助けてくれなかったのも絶賛記録更新中だ、と自嘲する。

 メイドは手首につけた腕時計をチラリと見て、時間を確認する。仕事の時間はもう目前に迫っている。さすがにこれ以上のタイムロスはよろしくないと判断し、両手を腰につけたホルダーに伸ばしたところで、



「悪い、待たせちまったなー!」



 いきなり声がかけられた。

 顔を上げて声のした方を見ると、ツンツン頭に学ラン姿の少年が申し訳なさそうな表情でこっちに近付いてきていた。周りの不良達も闖入者ちんにゆうしやに目が釘付けになっている。全員の視線を浴びても少年はおくしていないようで、縫うように集団の真ん中に入り込むと、メイドの手首を掴んだ。

「いやー、ホント悪かったなー。会う約束とかすっかり忘れてたよ」

 少年はそう言うが、メイドはそんな約束をした覚えはないし、それどころか少年と面識がない。少年を除く全員が呆気に取られる中、少年は不良達の輪の中からメイドを連れ出し、

「うん、本当に悪かった悪かった。あ、この子、俺と約束があったんで――それじゃ!」

 不良達に片手を上げながらそう言うと、少年は手首を掴む力を強め、急に駆け出した。突然引っ張られてこけそうになるが、少年の意図をさとったメイドは同じように走り出した。

 遠ざかる二人にさらに呆然とする不良達だったが、結局メイドが逃げた事に遅ればせながら気付いた彼らは、

「――って! まんまと逃げられてんじゃねえか! 待てやメイド! あと糞ガキ!」

「ふざけやがって、待てゴラァ!」

「メイドさんれー!」

 口々に罵声ばせいやら何やらを上げながら、不良達は少年とメイドを追いかけ始める。

 一方の少年は不良達が追いかけてきた事に多少慌てながら、

「あー……、突然こんな事になって悪いけど……走れる?」

 さっき声をかけて来た時以上に申し訳なさそうな口調でメイドに話しかけてきた。

 メイドは目を丸くしながらも、

「ええ、大丈夫ですよ。これでも体力には自信ありますから」

 にっこりと微笑みながらの答えに、少年は幾分顔を赤くしながら大きくうなずく。

「よし! それじゃ、良い逃げ道知ってるから、ちゃんとついて来てくれよ!」

「はい!」

 そして、彼らの逃亡劇が始まった。

 第七学区を縦横無尽に走り回る中、メイドは適度な疲労を感じつつ、わずかに心の高まりを感じていた。それがいわゆる『恋』である事に気付いたのは、不良達からまんまと逃げおおせ、少年が名前も言わずに去っていった後の事だった。

 遅刻が確定したバイトに向かいながら、メイドは胸のときめきが収まらない事に驚いていた。

 まさか少年に対してこんな感情を持つとは。

 まさかこんなドラマみたいな展開で恋に落ちるとは。

 本来なら有り得ないはずの感情に戸惑いながら、メイドは決心していた。

 とりあえず、もう一度少年に会おう、と。

 会ってまず今日の礼を言おう。

 この気持ちに対する整理はそれからでも構わない。

 しかしながら、この広大な学園都市でもう一度少年に会える可能性は低い。

 どうすればまた少年に会えるのか。その事を思い悩みながら、メイドはバイト先に到着する。




 一方の少年はというと、そんなメイドの気持ちは露知らず、いつも通りの生活を送る。

 科学だけでなく魔術にも関わるという、非凡でありながら、少年にとってはいつもの日常。

 そんな生活を送る彼は、気付かない内にフラグを立てている事など、とんと意識していなかった。

 それがまた、彼をトラブルに巻き込むとも知らずに――。



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